素人目線の映画感想ブログ

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ラ・ラ・ランド /ラストダンスは、私に。 


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 ラ・ラ・ランド
 (2017年 アメリカ映画)  95/100点


先に『ベイビー・ドライバー』を観たんですけどね。それが面白かったから、その勢いですぐ後にDVDで本作を観たら、やたら感動してしまったものだから、先にこちらを書きます。趣味嗜好の影響なんだと思います。『ベイビー・ドライバー』は洋楽ロックでノリノリで、こちらは古典的な曲でノリノリあり、しんみりありで。個人的に、すっと耳に入ってくるのは、後者なんです。

しかも、物語も良くって…。個人的ツボへの刺激がマックスでしたよ。
オイオイと泣けたのだから大変! これには感動した!

いや…。本作は2016年のアカデミー作品賞で最高賞争いをした作品としては、意外に賛否両論でした。なんだ普通の恋愛映画か…、という意見が多かったようです。ワガママ気味な主人公たちに感情移入できない、という意見もちらほら。だから、あまり期待しないで観たんですが。正直、ミュージカルに興味があるわけでもありません。むしろ、胡散臭く思っていたほどです。

なのに、こんなにも心に残る映画体験になるなんて。だから映画って、観てみないと分からない。

ラララ


なぜ、好きでもなかったミュージカル映画に、ここまで心を動かされたのか。
実は。
ここ数年で、気づいてきたことがあるんです。歌ってなー、元気な時より、哀しい時にこそ寄り添ってくるものなんだということが。鼻歌は、機嫌のいい時に出るようなイメージがあるけれど…、違うんです。いっぱい、いっぱいで、疲れて、やってられない時にこそ、つらさを頭から振り払おうとして、出るもんなんです。誰かが鼻歌を歌っているのを見て、「お? なんかいい事あったのかな?」なんて思うのは、浅いんです。本当は、かなりヤバい状態なんです。
だから歌ってのは、抜群の現実逃避装置なんだ! …って私は思います。
だもので。
本作の終盤で、登場人物が歌えば歌うほど、踊れば踊るほど、かえって溢れてくる「哀しみ」が凄くって。堪えている想いが、わあああっとこちらに流れてきて、もう、たまらんかったわけ。個人的に、涙の名作『ニュー・シネマ・パラダイス』に匹敵するほど、鼻の奥にジンジンきました。

さあ。

劇場公開からだいぶ経ちますので、<今回、ネタバレで書きます。>
過去のミュージカル映画に造詣もないものだから、本作が過去のいろいろなミュージカル映画に触発されているとかなんとか、そういう話もできません。
ただ、ただ、本作に感動した経緯を、書いていこうと思います。

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オープニング。渋滞の高速道路で、大勢が歌って踊ります。冒頭は、「楽しい映画だぜ!」とばかり、にぎやかです。実際は、そんな明るい映画じゃないんですけど。けれど、ここ、ミュージカル嫌いの人でもグウの音も出せないほど、撮り方が凄い。高速道路を貸し切ったこの場面、流れるような疑似ワンカットで魅せます。踊り終わった後にオープニングタイトルが出て、そのまま主人公の二人・セバスチャン( ライアン・ゴズリング)と、ミア(エマ・ストーン)が登場する流れが、地続きなので驚きます。なんか、ワクワクします。

この冒頭のシーンからも分かる通り、ミュージカル映画って、ファンタジーなんだと思います。基本、妄想の世界の話…。だから、本作への批判のひとつ、「ミアが映画館のスクリーンの前に立ちやがる」という批判は、ちょっと違うと思うのです。それを言ったら、高速道路で車を降りて踊り出すなんて、狂気の沙汰ですから。歌っていない場面含め、すべて、すべてが、二人の妄想だと思えばいいんじゃないですかね。

オープニング後、ミアが友達とパーティへ出かける場面でのミュージカルシーンも、素晴らしいものです。カメラの動きのダイナミズム、色彩の鮮烈さ、予告編でもさんざん聞いてきた楽曲の素晴らしさ! …あれ? オレ、ミュージカル苦手なのに…、なんで?? タ、タノ シ イ…、ミウ ジ カ ル…。初めて美しいものに触れたロボットみたいな気持ちになったのでした。(よく分からん)

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上記の楽し気なミュージカル場面でも、私が素直な気持ちで観れたのは、本作の根底に「哀しみ」があるからです。セバスチャンの哀しみは、「好きな音楽では食べていけない」というもの。ミアの哀しみは、「女優として認められない」というもの。二人とも、夢の実現に苦渋しているのでした。本作のテーマは、「夢に向かう、つらさ」 時折流れる明るい音楽は、苦しみの中でも、彼らが気丈に生きようとする「あがき」 …だからかえって私には、「哀しみ」が色深く感じられるのでした。

・セバスチャンは、腕前はピカイチなのに、なかなか世間に認められません。まるで竹原ピストルのようです。たぶん、世間から見れば、彼の音楽は「マニアック」で分かりづらいということなのでしょう。

・ミアは、キャスティングのオーデションに参加するも、いつも散々です。それにしても、泣きの演技の途中で、審査員に電話に出られて中断され、「続きをどうぞ」などと言われたり、演じ始めた瞬間に、「はい、結構」と言われたり…、審査員って、実際もこんなに失礼なもんなんですかね。しかし、必ず満面の笑顔を見せ、「楽しかった」と言って帰るミアは、とても健気です。
ところで、彼女のオーディション・シーンって、わざとヘタに見えるように演じていますかね? 仰々しい泣き芝居をしていて、確かにあまり上手に見えない。だからかえって、オーディションシーン以外のエマ・ストーンは、凄く巧く見えます。演じ分けているなら、凄いものです。

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才能があるが売れないセバスチャン。そもそも才能がないかもしれないミア。
二人は出会ってすぐに恋に落ちるのですが、夢の実現に向かって苦闘を続ける二人に、次第に溝が浮かび上がるのです。

さあ、一気にエンディングまで飛びます。
<ここから、結末です。>


いくばくかの時が流れます。
セバスチャンは「ジャズ・バー」を築きました。ミアは、女優としてようやく成功していました(ちょっと巧いこと成功し過ぎだけど)。

そして、ミアは、セバスチャンとは別の男性と結婚し、子どももいるのです。
彼らは、擦れ違いから、すでに別れていたのでした…。
『海よりもまだ深く』の樹木希林の言葉を思い出します。「何かを手にするには、何かを手放さないといけない」

しかし、皮肉なことだと思います。自身の音楽の嗜好を捨て、「今風」のバンドに所属し、一時成功を収めたセバスチャンを、「大人になった」と否定したミア。しかし彼女は、自身が成功を収めたあと、ちゃっかり別の男と結婚し、家庭を築き、さっさと「大人になった」のでした。セバスチャンはその後バンドを辞め、元の夢の世界に還ったというのに。

そしてラストの邂逅。これが、素晴らしく、せつないものでした。
オープニングと同じような渋滞に巻き込まれたミアと夫は、「もう踊ることもなく」、高速を降ります。そこで偶然入った店が、セバスチャンのバーでした。ピアノの前に座っているセバスチャン。観客席で、凍りついたように見つめるミア。二人は、お互いの視線に気づきます。セバスチャンが、ピアノに手をかけた、その瞬間。

二人の過去が、とめどなく再現されます。それも、現実の出来事とは違い、「あの時こうしていたら」「私たちは、うまくいっていたのかもしれない」…という、数えきれないほど、悔恨の詰まった、彼らの夢が炸裂するのです。

強烈でした。

歌は、現実を忘れさせる。夢を見させてくれる。

けれど、現実はもう、変わらない。

何度も言うけれど。
どうすることも出来ない「哀しさ」が、この輝くラスト・ダンスで、かえって残酷なほど濃く影を落すのです。

不安にセバスチャンを見つめるミアに、セバスチャンがなんとか微笑むのは、「いいよ。さあ、さよならだ」と、優しさの全てを。
微笑み返すミアは、「ありがとう」と、心からの感謝を。

二人の物語は、その時終わりました。
それでも、セバスチャンは音楽を奏で続けます。
彼らの想いが、永遠に生き続けられるように。

いつでも、夢の世界に還ってこられるように。

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なんか、泣けたなあ。二人のこらえる表情の美しさが、効いたなあ。二人の今までが流れる最後の演出は、『博士と彼女のセオリー』を思い出します。あれも感動したものです。そういえば、あれも男が我慢する話でした。大好きな小説・東野圭吾の『秘密』もそうだった。

どうもそういう話に、弱いらしい。


   

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Posted on 2017/08/23 Wed. 00:34 [edit]

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