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ムーンライト /差別感情は、誰にでも。私にも。 


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 ムーンライト
 (2016年 アメリカ映画)  80/100点


<出来るだけ、ネタバレを避けています。>

ゴールデン・グローブ賞では映画部門の作品賞を受賞、第89回アカデミー賞では、『ラ・ラ・ランド』を抑えて、作品賞を受賞。
グウの音も言わせない、高い評価を得た人間ドラマです。

しかし。

美しい映像。印象的なカメラワーク。おまけに、いつまでも見ていたいほど巧い演技。それなのに。
心に、すっと入ってくる映画ではなかったんです。
それは、何故なのか…。

本作では、黒人男性の少年時代、青年時代、大人時代の3つの時代を章立てし、彼の人生の苦みを描き出します。それは、貧困であり、ネグレクトであり、いじめであり…、様々な苦しみです。しかし、それを派手な事件に絡めて描くようなことはないため、物語には、あまり起伏はありません。常にうつむいて暗い顔をしている、主人公シャロンの静かな物語です。彼の傷ついた心に、どれだけ寄り添うことが出来るか。それによって、賛否が分かれる映画だと思います。

ムーンライト1

ムーンライト2

ムーンライト3


いじめの描写はとてもつらいです。シャロンは、少年時代は体が小さいために「リトル」と呼ばれ、いじめの対象になっていました。みんなでサッカーをやっている時に、仲間外れのようにされるシャロンの姿が、とても寂しそうで可哀そうです。
彼はまた、いじめっ子に、「オカマ」と罵られていました。バラエティー番組の世界では、「オカマ」というと、面白いキャラクターとしてもてはやされます。しかし、現実世界の当事者にとってそれは、やはり人の尊厳を傷つける為の「侮蔑語」なのです。シャロンは、自分の性質にまだ気づいていません。だから、開き直ることもできません。理由も分からず、「自分はどうやら他人と違うらしい」と思い込まされる苦悩は、相当なものです。そうして自信を失い、彼は陰鬱とした、物言わぬ人間になっていきました。

シャロンは、家庭にも問題を抱えています。唯一の肉親である母親は、薬物中毒の上、シャロンを邪険にします。そのくせ、口やかましく、占有欲が強いのか、自信がないのか、シャロンが誰かと繋がるのを気に入りません。当然ですが、シャロンはそんな母親を嫌います。嫌うけれど、時に気まぐれのようにシャロンに寄り添い、時に弱弱しくシャロンに愛を伝える母親は、とても不器用で、狡く、憐れです。憎みたくても、憎み切れないシャロンの母親への複雑な想いは、かえって苦しいものであったと思います。

誰もいない家で、独り、風呂に入るシャロンの姿が、また…、とても切ないものでした。

ムーンライト4


「泣きすぎて、水滴になりそうだ。」
そのシャロンの言葉から、彼の心の傷の深さが思い知らされます。

そんなシャロンを救うのは、親友のケヴィンです。同世代で唯一、彼に友好的に接してくれるケヴィンは、葉っぱを吸うようなワルい男。そこが、シャロンにはとても魅力だったことでしょう。「学校で女とヤってたら、センコーに見つかっちまったよ」と、ニヤニヤする彼に、親しみと羨望の入り混じった想いがあったはずです。同じ境遇の者同士で傷をなめ合うわけではなく、自分とは性格の違う「ちょいワル」と仲良くなることで、彼は、埋もれそうな自分が救い上げられるような気がしたのではないでしょうか。これってちょっと、『思い出のマーニー』っぽいですけど。
思えば、ヤクを売りさばく組織のボス:フアンにも、彼は目をかけてもらっていました。そういう男たちに気にさせる何かが、彼にあるんでしょうね。あまりに「毒」のない純朴な彼の雰囲気に、ワルどもは惹かれるのかもしれません。

ところが。

一時、「救い」を見出していたシャロンに、信じがたい展開が待ち受けていました。
彼の心を、徹底的に痛めつけたその事件ののち、彼の子供時代は幕を閉じるのです。

ムーンライト6


さて。
前述した通り、個人的な感想として、本作は私の心を大きく揺さぶりませんでした。
幾つかの理由があります。本作の軸となっている世界観を、私がまるで分かっていないからです。「イジメ」といった普遍的な問題の描写には、共感し、見入ったのですが、それ以外は、どうしても眺めているだけのような、貧相な鑑賞になってしまったのです。
その原因は、「黒人」や「ゲイ」といった社会問題やマイノリティー要素に関わります。黒人社会に蔓延した問題をよく知らなければ、たぶん本作の重要な意義をうまく理解できません。そして、一番の原因を正直に言うと、「ゲイ」の描写について、私には全く気持ちが理解できないものだから、物語に入り込むことが難しく感じたのでした。メンズとは回し飲みさえ回避したいタイプだから…、シャロンが、親友のケヴィンと徐々にそういう関係に近づいていく気持ちが、少しも分からないのです。
もちろん、本作は別に恋愛映画じゃありません。マイノリティーの世界で苦しむ一人の人間のドラマです。「ゲイ」の感覚が分からなくたって、本作の本質を理解することはできるはずなのに、そうした「共感できない」感情が、素直な鑑賞を邪魔したのです。

しかし、自分にはない感覚だから「共感できない」というのもまた、一種の差別感情なのだろう、と思います。
心のどこかで、「オレらとは違うし」という壁を作っているのだと。その「区別」する考え方は、まさに「差別」の温床です。
もっと言えば。
本作の「ゲイ描写」を観て、ある人は「気持ち悪い」と思うかもしれません。心から正直に言えば、実は…、私はそう思った瞬間がありました。普段は差別意識なんて微塵もないつもりです。それでも、そんな感情がごく自然に起きた…。「差別意識」は、たぶん、誰の心にもある人間の本質なのです。けれど、それでも、正しいことは「壁」を崩すことです。共感できなくとも、多様性に対して理解することは、現代に生きる人間の義務だと思います。「だからハリウッドは本作を選んだんだ」ということは、知っておかなければなりません。

ただね。

大人時代のシャロンが、「自分を変えた」んだとしても、あまりに屈強な姿に変わってしまっていて、子供の頃のシャロンと同一人物に思えなかったことは、作品への集中を削いだもう一つの大きな要因です。
「瞳が同じなら、観客は付いてきてくれると思った」と本作のバリー・ジェンキンス監督は仰ってますが、…すみません、期待に応えられず、私には分からなかった。筋肉や金歯、金の鎖で身を固めたけれど中身は繊細、というジャイアン効果を狙ったとも思われますが、あの姿でナイーブ過ぎることを言われても、すっと腑に落ちなかった…、いや、それもまた、姿・形で評価しようとする差別意識ですが。

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さて。

「人生を、誰かに決めさせるな」
フアンがシャロンに語ったセリフです。しかし人生は、「誰かが勝手に決めようとして」きます。あいつは「ゲイ」だから。あいつは「オタク」だから。あいつは「女」だから。あいつは「こう」だから。そんな決め付けに抗いながら、シャロンは大人になろうとしたはずです。しかし、彼の進んだ道は、結局、運命に決めつけられた、そうするしかなかった「ブラック」な闇の道でした。ここに、社会の底辺で生きる者たちの「負の連鎖」を感じます。思えば、父親のようにシャロンに手を差し伸べたフアンも、望まずに堕ちた道を歩んでいたのかもしれません。(フアンの心が崩れるシーンは、なんと切なく、素晴らしいことか!)

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そんな暗闇の人生でも、照らされた光を求めて、人は歩き続けます。
本作の最後に。
ほのかな月明かりの下で、シャロンの純朴で美しい心が、再び煌めいて見えました。
彼の見つめるその先には、何者にでもなれると信じた希望の世界があるのか。

どちらにしても。

彼の人生は、続きます。


  

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Posted on 2017/09/20 Wed. 15:30 [edit]

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