素人目線の映画感想ブログ

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ヒメアノール 「ヒトゴロシ」に生まれたら。 


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 ヒメアノール
 (2016年 日本映画)  80/100点



<原作、映画ともにネタバレしています。>


古谷実の原作『ヒメアノール』を読んでいました。すごく面白い漫画です。
相変わらず、「金ない、モテない、夢もない」という、ナイナイ尽くしの底辺であえぐ男子たちの物語。古谷実の『稲中卓球部』に似た皮肉満載のコメディパートに、「サイコパスによる連続殺人」というシリアスなドラマが迫っていくのが、大きな肝です。

まず、ちょっと原作の話を。

原作では、思い切った構成をしていました。結局コメディパートの登場人物と、シリアスドラマの殺人鬼が最後まで出会うことなく終わるのです。ここに、やりきれない切なさを感じたものです。同じ世界にいて、同じような不遇な境遇でありながら、一方は明るく笑え、一方は途方もない闇なのです。(日常のすぐそばに非日常があるという表現なのかもしれませんが)私には、この二つの分断されたような世界観に、かえって残酷な哀しさを感じたのです。

また。

古谷実は、『ヒミズ』でもそうですが、「運命論」を根底のテーマに置いているように思います。原作では、先天的に「殺人衝動」持って生まれてしまった人間の、抗うことの出来ない運命を描いていました。世間では、時に未成年による陰残な事件が起きます。その度に、「命の教育を」などと騒がれますが、もはや「命の重み」とか、「罪の意識」とか、「反省」とか、そんな次元で語らうことの出来ない「闇の真理」があるような描き方なのです。「罪を憎んで人を憎まず」と言うと軽いですが、世の中には、「ソレを持って生まれてしまった人間」が存在し、それは、その個人の責任能力を凌駕していると言わんばかりだったのです。むろん、被害者にはたまったものではない考え方で、社会的には断罪せざるを得ないのだと思います。例えば…、熊が町に現れたら、問答無用で処分しなければなりません。…しかし、本能のままに生きている熊に、悪意も罪もあるわけがないのです。

といった、極めてマジな話である原作の映画化なのです。
ただし、原作の大きな特徴である上記2点は練り直され、一般的な映画の筋書きになっていました。
原作ファンからすると、ちょっと違うのでは? と疑問になる部分でもありますが、出来るだけ原作のエキスを尊重しているのは分かります。さらに言うと、サイコスリラーとして、一級の作品であることは間違いありません。

あらすじは、「うだつの上がらない岡田(濱田岳)は同じバイト先の先輩・安藤(ムロツヨシ)の恋のお手伝いをする。しかし、岡田はその恋の相手・ユカ(佐津川愛美)から逆に告白されてしまう。嫉妬で岡田を恨む安藤だが、実はもう一人、ユカを付け狙う森田(森田剛)という男がいた。森田は岡田の高校の同級生だったが、過去に凄惨ないじめを受けていた…」という物語。

ヒメア4


なんといっても、森田を演じたV6の森田剛の凄さが光ります。
「ジャニーズ」なんて肩書を吹き飛ばしてしまいたいのか、完全にリミッターの外れたサイコパスをオブラート一切なく演じていました。驚いたのなんのって。自然体に気だるい…と言いますか。動き、喋り、目つき…、全てが「強烈な負」なんです。
ゾッとしたのは、高校の時の友達だった岡田と再会した場面。「この店には初めて来た」と嘘をつき、完全にそれがバレても、なおも全く筋の通らない嘘をつき続けます。それも、平然に。
また。
禁煙エリアで煙草を吸っていた森田が、掃除人に注意される場面も印象的です。注意をしてくる大人を、森田は非常にうっとうしく思います。彼はすぐさまタバコを捨て、「いや、もう吸ってないんで」と言い放ちます。なお咎められても、「いや、もう吸ってないんで」の一点張り。

それが通用すると思い込んでいる幼さ。社会性からの乖離。…いくつかの些細な場面から、少しずつ、ヒヤリとするような彼の異常性が表れます。

ちなみに、彼が巻き起こす残虐シーンは、ハードです。バイオレンス耐性がない人なら、かなり引くでしょう。しかし、この手の映画を見慣れている人なら、凝ったバイオレンス描写に「巧いなあ」と唸ることでしょう。実行する森田の無機質で緊張感のない様子が、なおさら印象的です。(ただし、森田の殺人と岡田・ユカのセックスを重ねた描写は、凝っていますが、ちょっと狙い過ぎな気もしました)

で。

飲み屋での岡田の前向きな発言に対し、冷めた面をして「何言ってんの…? 俺らはもう終わってんだよ」と言い切る森田は、完全な無力感に支配されていました。金づるを失い、ユカを岡田に奪われてからというもの、森田の元々にある闇は、底なしに深くなっていくのでした。

ヒメア3


その対比のように存在しているのが、、「底辺」に生きるおじさん・安藤です。上司に叱られても、反省する態度が出来ない、無駄にプライドだけが肥大した「ダメ男」
演じるムロツヨシがまた巧いです。ぼそぼそと喋る雰囲気は森田と同じで、ユカを取った岡田をバラバラにしちゃおうと、危ないものの考え方をするところも森田に似ています。
ただ、森田と圧倒的に違うのは、「(無駄に)ポジティブ」な所です。「(勘違いした)希望」もあります。そのおかげで、まだ彼は人生を諦めていません。岡田のせいで、一時的に嫉妬に狂いますが、それでも安藤は前を向いて生きる力がありました。
ある意味これは、人生に不可欠な「現実逃避力」なのかもしれません。小泉純一郎が大事だと言っていた「鈍感力」に近いものです。おかげで、安藤はなかなかダークサイドに落ち切らずに済んでいるのです。
原作では、安藤にも、岡田のように「恋の成就」が訪れます。さすがに映画ではそこまでの「奇跡」は描かれず、岡田やユカという心から信頼できる「友」を得ることで、安藤は救われたと描かれていました。ま、現実的な着地点です。…かえって切ないかも。お前はそれで満足しろよと押し付けられているみたい。けれど、安藤はそれを飲み込み、きっと元気に生きていくのだと思います。

さて。

同じ「底辺」にいながら、一方は希望を見出し、一方は闇のまま。
この違いは何なのか?
それが、原作にしても映画にしても、本作におけるテーマの一つだと思います。
森田は、高校時代に凄惨ないじめを受けていました。心を壊すほどのいじめでした。しかし、同じいじめを受けていた森田の同級生は、大人になってからは普通に仕事をし、婚約者のいる生活を送っていました。原作のようにハッキリとは描かれませんが、森田は生まれつき、(性的嗜好としての)殺人衝動を抱えていたのです。いわば「変態」として生まれたのです。安藤も変態ですが、それは「許容できる範囲」であり、『月曜から夜更かし』で笑ってもらえるレベルです。

しかし。
森田の「変態性」は、重度です。笑えるレベルではありません。
人と関わらねばならない社会で、生きていくことは出来ません。

それは。

彼自身にだって、もうどうすることもできないのです。終盤、岡田に森田が包丁を向けます。高校時代のいじめに加担したせいだ思っていた岡田でしたが、森田はそんなことは覚えていませんでした。理由も動機もないけど、「コロス…」 これが、森田が運命として持たされた「性(さが)」なのです。

ヒメア2


けれど。

岡田を拉致して車を走らせていた時、人間なら平気で轢いていた森田は、目の前の「犬」を避けるためにハンドルを切りました。そこで事故になり、森田の逃走は終着するのです。
これは、彼の中にある「純粋性」を表しています。原作でも本作でも、彼は「悪」とは描かれません。決して、断罪しません。徹底した「運命論」と「不平等観」 そういう強烈なテーマが、本作には実はあるのです。

ラスト。激しい衝突で意識が朦朧とする中、錯乱した森田は岡田に言います。「また、遊びに来てね」 かつて高校時代、岡田と森田はれっきとした「友達」でした。もし森田が、「ソレ」を持たない人間であったなら、今でも友達でいられたのではないか。岡田、安藤、森田、ユカ。みんな、「友達」としていられたのではないか。

森田は、それが叶わない人間として生まれついた…

森田の頭の中には、高校時代、自宅で岡田とテレビゲームで遊んでいた場面が浮かんでいました。そばには、森田の本来の優しさや純粋さを示す「飼い犬」がいました。
彼にとって、これが一番で、そして唯一楽しかった瞬間だったのだと思います。
最期、その幸せな記憶にすがり、森田は岡田の前から消えました。

とても哀しくて…心に刻まれる素晴らしいラストシーンでした。


   
※映画も良かったですが、原作は「運命論」のテーマがもっとはっきりとしています。青春の皮肉もたっぷりで笑えます。原作もオススメです。映画よりバイオレンス描写は抑えられています。絵も結構きれいです。


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Posted on 2016/11/26 Sat. 12:26 [edit]

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