素人目線の映画感想ブログ

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BABEL(長文版) 「溝」は、どこにでも。 


 BABEL 
BABEL
 (2006年 アメリカ映画) 85/100点


カンヌ映画祭では監督賞受賞など、いろいろな映画祭で高く評価された本作ですが、日本での評価は賛否両論…というか低評価が多いように思います。

ところが、私にはすごく良くてですね…。
エンディングシーンに流れる坂本隆一の「美貌の青空」も最高で!
(↑長ーい文章になってしまったので、こちらを聞きながらでも、どうぞ。)

物語は帰結していないし、無駄な性描写は多いし、日本描写に違和感あるし、菊池凛子が頑張りすぎではあるけれども…。
それを覆すほどの演出や映像の力強さを感じるのです。
役者陣もかなり豪華な布陣です。みな、渾身の芝居を見せます。
3つの舞台で3つの物語が展開されます。一つ一つの物語同士の繋がりが希薄で意味不明、という意見もありますが、オムニバスとして観てみると、実際、途方もない極限のドラマが展開されており、重量級の見応えなのであります。

「LIFE!」とか、ポジティブな映画には素直になれない癖に、こういう不幸が渦巻く映画になると、とたんに子犬のように尻尾を振って喜んでしまう自分もどうかと思うのですが、「アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督」という、日常では覚えていても絶対に得のない難しい名前を完璧に覚えてしまう程、私はこの映画に見惚れたのでした。

というわけで、いつの間にかブログ開始から2年を越えたということもあり、記念碑的なフェイバリット映画をご紹介。


(完全ネタバレでまいります。)

バベル3


あらすじは、「コミュニケーション不全を描きます」という物語。
タイトル通り、これは旧約聖書にある「バベルの塔」の話にのっとっています。
大昔、人間は神の領域に手を伸ばそうと高い塔を作ろうとしましたが、神が怒り、人間同士がバラバラになるように互いに言語を通じなくしたというお話がベースになっているのです。お-神よ。ならば、なぜ日本語だけ欧米と全く違う語順と発音に作ったのでしょうか。そのために私の英語力は、英語科に通っていたにも関わらず通じないのでありました。(関係ない)

それでは。

物語を詳しく紐解いていきましょう。
本作は、「モロッコ」「メキシコ」「日本」と、まるで異なる文化・風景を舞台に展開されます。
それぞれの場所で巻き起こる物語が、時系列バラバラで展開されます。「モロッコ」の山岳地帯の風景の後、突如「日本」の見慣れた都市の風景に切り替わったりし、否応なしにカルチャーギャップを突きつけられるのです。
これもまた、「バラバラになってしまった世界」を演出しているのでした。

1.モロッコ
ここでは、現地の家族とアメリカ人の夫婦が登場します。
放牧民の兄弟は父親から一丁のライフルを渡され、家畜を襲うジャッカルを始末するよう命じられます。
ほんの幼い子ども達です。彼らがライフルを構えて試し撃ちする姿が、日本人の私にはもうすでに受け止めにくい描写なのです。父親から離れ、自由気ままに撃ちまくる兄弟にハラハラして仕方ありません。自分の子供がおもちゃの取り合いをしているだけでも、「目に当たったらどうすんだ」といつも心配してるくらいなのに、銃て。

案の定。

銃にすぐに慣れ、腕前も良い弟は、ふいにライフルの射程距離を調べたくなり遠方を走るバスを狙い撃ちします。

おいおい。

本心は…あんな遠くのバスに当たるわけないわなーだったと思います。でなければ、人間が乗っている乗り物に向かって銃をぶっ放すことの愚かさくらい、彼らだって当然分かっていたはずです。
しかし。
何気ない軽い気持ちから、とてつもない悲劇は生み出されるものでして。

バベル


銃撃後、遥か遠くのバスが停車するのが見えます。

バスは観光客用のバスでした。
車内には一組のアメリカ人夫婦がいました。リチャード(ブラット・ピット)とスーザン(ケイト・ブランシェット)です。
夫婦の間には、のっぴきならない「溝」が垣間見えます。
かつて通じていたであろう二人の心は、今やバラバラになりそうになっているのです。
その理由は本作内で後述されますが、心を閉ざしているように見えるスーザンと何とか夫婦仲を復元しようと頑張っているリチャード。
突如。
スーザンの肩に、先程の銃弾が飛び込んでくるのです。

バベル2


撃った少年たちは一目散に逃げ出します。
やっちまったー。いらんことしたー。
子供の頃、野球ボールでガラスを割って逃げた事はありますよ。その時の罪悪感・焦燥感も相当なものでした。
これは、その何十倍の罪でしょうか。
何も知らず、いつもと同じ平和な顔をして帰ってきた父親をチラと見て、少年たちは途方に暮れたような「不安な顔」で俯くのです。
どうしよう…なんて言おう…いや、黙っていられるだろうか…このまま、何もなかったようにならないだろうか…
気持ち、すげーわかる。
それを観ていると、もう切なくて、胸が締め付けられるような思いがするのでした。

しかし、悪行とは、どんなに反省したところで必ずばれてしまうもの…。

さて。

被害者であるスーザン夫婦だって、たまったものではありません。
医療施設から遠く離れた場所で瀕死の重傷を負うという災難。ひとまずそのバスは、医師のいるという通訳兼旅行ガイドの男の住む小さな村に移動します。
しかし、おおよそ文明的な施設など見当たりません。
一時しのぎで、リチャードはスーザンを現地ガイドの男の家に運ぶのでした。

言葉も通じない村。
迷惑そうに顔をしかめるバスの同乗者たち。
いつまでも助けをよこさないアメリカ政府。

その全てにたゆたっている「溝」

このとてつもない「孤立感」もまた、本作全体を通しての「胆」なのです。

バベル5


2.アメリカ・メキシコ
舞台は変わって、ここではリチャードとスーザンの二人の子供たちとその家政婦のお話。
家政婦・アメリアは、故郷メキシコでの息子の結婚式を控えていました。
しかし。
代わりの家政婦が手配できないため、アメリアは雇い主であるリチャードに黙って、子供たちを連れてメキシコに向かう事にします。

結婚式自体は何事もないのです。

その帰路。

車でアメリカに戻る途中、運転していたアメリアの甥(ガエル・ガルシア・ベルナル)が国境そばで暴走します。警官に追われる羽目となり、追跡から逃れる為、なんとアメリアと子供たちは国境そばの砂漠で置いてけぼりを食らってしまうのです。

真の闇の恐怖。
しかし、砂漠の真の恐さは陽の光が照りつける日中にありました。
右も左も、ただ広がる砂の大地。
いつまでも甥が迎えに来ず、アメリアは初めこそ疲れ切って眠った女の子・デビーを抱きかかえ、男の子・マイクと砂漠を彷徨いますが、ついには子供たちを日陰に置き、ひとりで助けを呼びに行くことを決意するのです。
「必ず迎えに来るから、ここで待ってて」と苦渋の決断をしたアメリアに、当然マイクは泣きそうになりながら「置いていかないで」と懇願します。

極限の場面です。見ていて、つらい。

日差しの強いクラクラしそうな映像が、こちらの喉まで乾かします。

バベル4


とんでもないシチュエーションの悲劇ですが、モロッコでは夫婦がひどい目に遭い、アメリカではその子供たちがひどい目に遭う。…呪われた一家と言わざるをえません。そう、それは…映画のご都合主義という名の呪い。…正直、別の家族設定にしたらよかったんでは?


3.日本
さあ、日本です。
ここが何とも賛否両論の根幹なのですが…菊池凜子演じる千恵子は耳の聞こえない障がいを抱えています。そのために、他人から「化け物みたいに見られる」という激しいコンプレックスを抱えているのです。

同じ障がいを持つ友達の親戚の男の子たちと遊び、一時の充実感を感じますが、好意を抱きかけていた男の子が友達といちゃついているのを目撃し、途端に茫然自失でその場を去るのでした。

千恵子は、人と自分との間に「溝」を感じ、その埋め方が分かりません。
その溝は底が見えないほどに深く、彼女はひたすらに焦ります。
焦った挙句、無暗に無謀に、彼女は体を開こうとすることで人との繋がりを求めるのですが、当然(というか、幸いなのか?)、ますますおかしな子のように見られ、相手にされないのでした。

千恵子は、かつて母親を自殺で失っています。そのトラウマが、彼女をそこまで追い詰めているのだと思います。

が。

賛否両論の最大の部分でもありますが、千恵子の行動は極端過ぎて理解不能です。
菊池凜子が最大限に頑張っているのはよく分かるのです。目力だってすごいもの。スーザン役のケイト・ブランシェットにさえ、存在感において負けていません。
しかし、監督の意図は何となく分かりますが、ちょっと演出過多だし、千恵子の「孤独」を表現する方法としては古臭いような、安易のような気がするのです。
「ニホンのジョシコーセー、コンナンデショー」と思われているとしたら、とても残念です。
ついでに言うと、日本の若い男のチャライことチャライこと。ちょっと、ここの描写はうんざり。

バベル9


さて、モロッコと日本の物語には、ある一つの繋がりがありました。

モロッコのバス銃撃事件で使用されたライフルは、実は千恵子の父・ヤスジロウ(役所広司)がかつて所有していたものでした。彼がモロッコにハントに出掛けた際、現地の友人に譲り渡した経緯があったのです。(モロッコで狩りって…えらく国際派な設定ですな、「バベル」の話にしては…)
そいでもって。
「ライフル」の件で、ヤスジロウに事情聴取をしようと現れた刑事・真宮は、千恵子と出会います。
真宮を演じるのは、日本ではあまり第一線で活躍しているわけではない役者さんですけど、結構雰囲気を持っています。これはキャスティングの巧さ。
千恵子は、真宮に一目惚れをします。

しかし悲しいことに、真宮へのアプローチの仕方も、千恵子には今迄通りの方法しか思い付かないのです。
いや、その方法しかないのだと、自分で自分を追い込んでいるようでした。

バベル


さて。

物語は、終盤にそれぞれが収束していきます。
とてもとてもエモーショナルに描かれ、人によっては「胃がもたれる」かもしれませんが、私にはドンピシャでしてね…。


モロッコの警官に囲まれ、銃撃を受ける兄弟の顛末はなんと皮肉に満ちていることか。

国同士のいざこざ(「溝」)で遅れ、ようやく到着した救助ヘリに乗り込むリチャードとスーザン。本来なら「よかったー」と胸をなでおろす場面なのに、淡々と流れるギターのBGMと相まって、胸の内がざわりとするほどもの悲しく。

別れ際、謝礼にとガイドの男に札束を握らせようとしたリチャード。それをガイドが拒絶したことで浮かび上がる二人の「溝」

病院から息子に電話をかけ、息子の無邪気な声に思わず涙を流すブラピの男泣き。まいったね。

砂漠から生還はしたものの、不法就労の罪を問われた挙句、強烈にアメリアに叩き付けられたのは、アメリカとの「溝」

バベル6


そして。

最後の締めは日本でした。

千恵子は、真宮に「母親の自殺の真相」を手紙にしたためて持たせます。
とはいえ、この手紙の内容は最後まで明かされません。
その手紙を読んだ真宮は、つらい真実を知った者の顔をして俯くのです。
そこには、どのような真相があったのでしょうか。
映画の公開から、散々っぱら、いろいろと推測されていますのでここでは書きません。
ただ。
母と娘とは、本来なら切っても切れない最大の「繋がり」があるのです。それが、「何か」によって切り離されてしまったために、「異常なほど強い他者との断絶感」を千恵子が抱くに至ったのだと推察します。それはまた、「母の死」の原因でもあったはずです。「手紙の存在」は、それほどのことがあったという客観的事実を表しているだけで十分で、何が書かれているかは別に問題ではないのかもしれません。…と、ま…想像するしかないのですが。

バベル8


前述した通り、ラスト、坂本龍一のBGM「美貌の青空」が強烈に印象的です。

本作は、娘の底知れぬ孤独をようやく悟った父・ヤスジロウが、千恵子を強く抱き締めるところで終わります。

え? これで丸く収めてるつもり?
という声も聞こえますが…。
え? 3つのお話って大して繋がってない…。
という不満も、さもあらん。

けれど本当にオススメだけどなー。
国際色豊かな配役も、お祭り映画のようで楽しいのですが…。

それにしたって。
神は、人間同士をどこまでバラバラにすれば気が済むのでしょうか。
いやいや。もはや神の仕業ではないかもしれません。
聖書では、神は「言葉」を分け隔てただけです。
国だの心だの。
そこまでに「溝」を作り上げたのは、人間の勝手な都合だったのではないでしょうか。
すべてを神のせいにはできませんよね…。
おー、なんということか、では神は「私の英語を通じなくしただけ」だったのだ! (関係ない)


  

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Posted on 2014/09/19 Fri. 22:07 [edit]

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コメント

 

初めまして
『バベル』
私も大好きな映画です。

500文字の映画話 : http://syoukoucinema.blog.fc2.com/

URL | しょうこう #rStYR3.c | 2014/11/05 09:12 | edit

しょうこう 様 

コメントありがとうございます。

ブログを覗かせて頂きますね。

URL | タイチ #- | 2014/11/06 12:21 | edit

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