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アンダー・ザ・スキン 種の捕食 ノルマに疲れたエイリアン。 


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 アンダー・ザ・スキン 種の捕食
 (2013年 イギリス・アメリカ・スイス合作映画) 80/100点


<ややネタバレしています。>


タイトルから、ありがちなB級SFホラーだと思って完全にノーマークでした。
この「種の捕食」ってサブタイトルは邦題なんですね。SFホラーの「スピーシーズ 種の起源」にならったのでしょうか。そのタイプのSFホラーが好きな人への釣り針だと思いますが、私はその逆なもので、あやうく見過ごすところでした。

しかし、本作の評価が妙に高いと聞きつけ、これは何かあるなと鑑賞してみたら…。
これがまた、「ド」が付くほど作家性の強い映画だったのです。
主演のスカーレット・ヨハンソンがド脱ぎすることでも話題になっています。
そういう映画は好きです(いや、ド脱ぎのことじゃなくて)。
ふつーじゃない映画を撮るんだ! 分かってくれる奴だけでいいんだ! という尖がったモノを感じる映画は好きです。

そのため、本作は見た事のないイメージを振りまいており、非常に見る人を選ぶ作りになっています。
決して人にオススメはできません。
けれど、私には強烈な印象を残してくれました。

アンダーザスキン0


あらすじは、「エイリアンの女(スカーレット・ヨハンソン)は、日々バンを走らせ、捕食の為の人間を探しまわっている。身よりのない者を一人、また一人と拉致する彼女には、おおよそ人間のような感情はない。しかし、ある重い病気を患った青年と出会ってから、少しずつ彼女に変化が表れ始める…」というお話。

最初に言うと、本作はかなり地味です。
アクションシーンなどありません。起伏のあるドラマもほとんど起きません。
淡々とヨハンソン演じるエイリアンが人間を拉致していくお話。幾度も同じような拉致が続いた時、良い意味で、「ああ、この映画は何もするつもりがないのだ」と感じました。
本作の狙いは、エイリアンの日常を描くことのように思います。
エイリアンといったって、妙にきらびやかな飛行物体に乗っていたり、高度な文明機械を持っているとは限らないのです。常に虎視眈々と地球征服を狙っているわけでもありません。その日暮らしをするために、生きていくために日々やらねばならない仕事をコツコツとこなしているだけでもいいではありませんか。エイリアンだって普通に頑張ってんだ。決して派手なこともないし、暴れるわけでもないし、単につつましく生きているんだと。愛想笑いに嫌気がさしたりノルマに疲れてみたっていいじゃない。エイリアンだって、イキモノだもの。

ただ、食べるものが「人間」だっただけのことですよ。

「寄生獣」を思い出しました。あちらも、寄生生物は生きる為に「人間」を食べていました。「人間」に見つかったら殺される危険が増すので、可能な限り「ひそやかに」捕食していたところなどもソックリです。

アンダーザスキン2


本作では、ヨハンソンがバンを運転しながら、街ゆく人に声をかけアジトに誘い込んでいきます。
事件に発展して警察が動き出さないようにするためか、「身寄りのいない者」が目当てです。巧みに質問をして対象者を選定します。聞くところによると、この場面は映画撮影だとは知らされていない素人に、ヨハンソンが実際に声をかけているところを隠し撮りしたそうです。監督が目指していた映画の方向性がよく分かります。そりゃあヨハンソンに声をかけられたら嬉しいでしょう。「道に迷っているの~」なんて言われたら、そりゃあ同乗して案内もするでしょう。連絡先でも聞いちゃおっかなーなどと舞い上がることでしょう。
ただし。
「あたいのウチ来る?」と誘惑してきたら、100%美人局だと疑いなさい。この世においしい話はありません(自分調べ)。

しかし、まんまとワナにかかった身の程知らずな男たちは、ヨハンソンに誘われるがまま一軒のボロ屋に導かれ、怖いお兄さんが出てきて「沈めんぞこら」と脅されるよりも恐ろしいことに、本当に暗い沼に沈められるのです。

捕食のイメージ映像が斬新かつシンプルで面白いです。真黒な画面の中で、服を脱ぎ捨てたヨハンソンが男の方を向きながらゆっくりと後退していきます。男もまた服を脱ぎながら、ヨハンソンを追います。あれれ・・・? 気付いたら深い沼の中に堕ち込んでいるのです。このイメージが連続して何の変わり映えもなく数度続くので、まるでシュールなコントのようなおかしみさえあります。この場面での音楽も特徴的で、さらに独特の印象を与えます。太鼓か鼓のような音が鳴りますが、なぜか古い日本映画を思い出しました。さらに「能」のイメージさえ思い起こしました。これ、「雨月物語」からの影響とかないのだろうか? それに通じているような不思議な空気感なのです。
さらに、沼に堕ちた男たちの行く末が一度だけ描写されるのですが、それが不気味。人の中身を一瞬で吸い取るもんだから、後に残るのは「スキン(皮)」のみ。タンクローリーに潰されたトムとジェリーみたいにヒラヒラってなります。

アンダーザスキン


こうして、ヨハンソンは来る日も来る日もバンを走らせ、何人もの人に声をかけていきます。そこに、私は健気ささえ感じたのでした。彼女には、一片の邪悪さもありません。あるのは、彼女自身の空腹でしょうか。あるいはひょっとすると、バイクに乗った仲間と思わしき者からノルマを課されているのかもしれません。
エイリアンには人間に対しての悪意はないようですが、罪悪感も同情もありません。
強烈だったのは、海岸に置き去りになり泣き叫んでいる赤ん坊に、ヨハンソンが見向きもしないシーンです。
エイリアンの人間に対する捉え方が決定的に分かります。エイリアンにとって、人間は冒頭に出てきた「蟻んこ」と同列だ、ということなのです。観ている側は当然嫌悪感を感じますが、これもまた、「寄生獣」や「GANTZ」にもあった描写で、「人間」だって食糧としての「牛」「豚」には優しくないわけで。

しかし。

ヨハンソンは、顔に難病を負っている青年を誘いこんだ時から「変化」を生じさせます。
きっかけはハッキリとは示されません。妖怪人間ベムばりに、「人間」に憧れる感情が芽生えたようなのです。人の優しさに心を動かされたのか、はたまた、不平等な人間社会に同情したというのか。
ヨハンソンは、オールヌードで鏡の前で自分の擬態である「人間の身体」をくまなく観察します。無論、男女が入れ替わったドラマのような昂揚したテンションではありません。じっくりと身体をひねったりし、「人間」に興味津々なのです。観ている男子は別の意味で興味津々ですけど。(ただし、あえてなのか何故なのか、本作のヨハンソンはポッチャリしていまして、贅肉がたるんでいて美しくありません。人の皮をかぶっているエイリアンという設定に沿ったのであれば余計な立派な演出ですが、巷では「なぜだ!?」という声が聞こえたり聞こえなかったり。)

アンダーザスキン3


ヨハンソンは、仲間であるバイクに乗った男たちから逃げます。
もはや人間を連れ去る気持ちがなくなったようです。
粗悪な商品を無理やり売り歩いていたセールスマンが、ついに嫌気がさして逃げ出すように、彼女は「エイリアン」としての日常を投げ出したのです。そして、行くあてもなく彷徨います。

立ち寄った先で出会った一人の中年の優しさに触れ、彼女はさらに「人間」になるべく最後の行動に出ますが…。

「人間」に憧れた「妖怪」や「怪物」という話はよくありますが、「エイリアン」というのは初めてです。
しかし、そういう物語が大抵は悲劇であるように、本作もまた想いの届かない結末を迎えます。
およそ彼女は最後に何を見たのでしょうか。
涙の代わりに一筋の黒煙が立ち昇り、それが慰めのような優しい雪空と混じって消えるラストで、人知れぬ存在の人知れぬ悲しみが、人知れず散ったのでした。


  

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Posted on 2015/01/16 Fri. 00:16 [edit]

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