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※ネタバレがある時は、必ず<赤字>で標記します。点数の説明はこちら。

アデル、ブルーは熱い色 /きっとよくある恋だから。 


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 アデル、ブルーは熱い色
 (2013年 フランス映画)
 80/100点



<結末まで、ネタバレします。>


本作は、第66回カンヌ国際映画祭で最高賞パルム・ドールを受賞しました。
さらに、主演女優の二人にも同賞が与えられる史上初の快挙も成し遂げています。

女性の同性愛を軸に、二人の女性の人生の岐路を描く物語。

…ってか、上映当時は、ずいぶん女性同士の「濡れ場」が話題になっていました。
7分間も続くそれは、ポルノ映画と見まがうほどの過激さだったということです。

ところが。

この度、DVDで観てみても、特にそういうシーンがあるように感じられず、見逃したかな? とさえ思ったのですが…
なんとDVDでは、レーティングを意識し、ほぼカットされているとのこと。

ええ…?( ゚ロ゚) !?

それは…、事前に言っておいた方が…
それを目当てに本作を観た人にしたら、ちょっと詐欺みたいなもんでは? 

いや、私はいいんですよ。
何度か巻き戻して確認はしましたけど。
私はいいんですよ。ホントに。

さて。

本作は、女性同士の恋愛を描きます。
とりわけ凄いと感じたのは、主演の1人であるレア・セドゥの男前っぷり。

もともと力強いイメージがあったとはいえ、『ミッション・インポッシブル/ゴースト・プロトコル』で可憐で危険な殺し屋を演じていたレア・セドゥとは、全く別人ではありませんか。

『ミッドナイト・イン・パリ』の時の控えめで可愛らしいレア・セドゥともかけ離れているではありませんか。

本作で、「エマ」という同性愛の女性芸術家を演じるレア・セドゥのガッチリした男っ気は衝撃です。
目つきとか、にやけ方とか、リバー・フェニックスに似てるなあとさえ感じます。

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 ↑「ミッション・インポッシブル/ゴースト・プロトコル」でのレア・セドゥ

 ↓本作でのレア・セドゥ
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そのため、実はレア・セドゥのファンにとっては、逆に嬉しくないほど「男」になっておりますので、そういう意味でも、詐欺みたいなもんかと。

しかし。

本作は、とても「真面目な映画」です。
下心で本作を観ようなどという者が、不届きなのです。

上映時間が3時間と長いです。
その上、ドラマティックな場面が少ない上、会話劇のように展開するので、セリフの一つ一つに込められた示唆や伏線を読み取りながら鑑賞する必要があります。

人物の心理描写にしても、「こういうことで悩んでボンジュー!」「これが気に入らないのサヴァ!」「だから別れましたのジュテー!」などと、ハッキリ説明するようなセリフは皆無です。

つまり、「察する」鑑賞力を試される映画だと思います。

ただ、8割がアップで映される登場人物たちの表情には、心の袋小路にこびりつく「熱情」や「葛藤」が滲み出ています。

特に、レア・セドゥの相手役であるアデル・エグザルホプロスが演じるアデルに撮影カメラは肉迫し、親近感を強めます。

そんな彼女が急にハッとするような感情表現を見せるから、まるで身近な人の苦しみを目の当たりにしている気がして、何だか胸が締め付けられるのでした。

幼く、甘く、直感主義の若いアデルの軽薄さは、成長期の骨のきしみや、神経を逆なでするようなさかむけの疼痛のよう。
心の中に、ギスギスチクチクとした痛みを次々に生み出すのでした。

本作は同性愛を描きながらも、そんな普遍的な青春の「苦み」も描き出しています。

同性愛ではなく、普通の男女の物語だったとしても、成立する物語かもしれません。

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序盤、アデルは学校で『マリアンヌの生涯』という詩の授業を受けています。
それは、「一目惚れ」に関してのくだり。
こういったことが、後の展開を示唆しているわけです。

その後、アデルがエマに「一目惚れ」をするという繋がりは、まだ分かりやすい。

話は先に進みまして。

エマとアデルの出会いから別れまでの軌跡が印象的です。
「二人の住んでいる世界のズレ」から、二人の間に溝が生まれていくのです。

それは、家庭環境にも表れます。
アデルは、ミートソーパスタを無邪気にほおばる一般的な家庭です。
両親はアデルに「普通」「安定」を求めています。

一方、エマの家庭は、エマにアパルトメントの一室を与えるほど裕福です。高いワインと牡蠣でアデルをふるまいます。
エマの両親は、エマが同性愛であることも、画家として生きていくことも認めています。(邦画だったら、二人の家庭環境を悪く描きそうなところです)

それは、二人の価値観にも表れます。
アデルは両親の手前か、文学的才能があるにも関わらず「教師」の道を目指します。
エマは「芸術」の道一本です。
エマは「芸術(詩人)」の道を薦めますが、アデルはそっけなく返事をします。

それは、交友関係にも表れます。
アデルの友達は、アデルが同性愛者だと疑うと心ない中傷をしました。
エマの友人は気にしません。気さくに「どんな気持ち?」と聞いてくるぐらいです。
しかし、エマと彼女の友人の芸術に関する話題に、アデルは一切付いて行くことができません。

そういったズレに気付き、次第に不安を募らせるアデル。

その不安から、心の安定を失ったアデルは、寂しさを埋める為に「浮気」をしてしまうのでした。

それを知ったエマは、激しくアデルを罵倒し、「最初の別れ」に発展するのです。

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この別れ際の二人の諍いの場面は、かなりの修羅場。二人の渾身の芝居がぶつかり合います。「後悔」という言葉をしきりに口にして懇願するアデルの、くしゃくしゃになった泣き顔が痛々しいです。

崩壊は一瞬。悔やんでも悔やみきれないアデルの心持ちが、とても心配になります。

しかし。

この二人の溝は、果たして本当にアデルの過ちが発端だったのでしょうか。
その後、エマはアデルが怪しんでいた女性とちゃっかり家庭を築きますから、エマには後ろめたいことが一片もなかったと言えるのでしょうか。

そこに、疑問を感じずにはいられません。

さらに言うと。

ちょっと野暮なことですが、そもそもエマがアデルと付き合った理由がよく分かりませんでした。
「恋」に理屈はないのは百も承知です。
それでも、これほど「二人の間にあるズレ」を見せつけられると、エマがアデルに恋をした理由が乏しいような気がするのです。

アデルの「浮気」にエマが激怒することに、いまいち説得力がなく。
ひょっとして…
「ラッキー、浮気をネタに別れたるでー」と、エマが狡い手を使ったようにさえ思うのでした。

しかるに、アデルの愚かな行動が「運命の恋」を崩壊させたのではなく、もともと「それだけの恋」だったのではないかと思うわけです。
そしてそれを、余計なお世話ですが、ぜひアデルには気付いてほしいと願うものです。

しかし、アデルは途方に暮れます。

つらさに耐えながら教職の仕事をこなすアデルの健気さも胸を打ちますが、笑顔に乏しく、ふと一人になると涙をこぼす姿が不憫でなりません。

ましてや、時を重ねた後にエマと再会したアデルが、なおも執拗にエマを求め、うまくいっていた頃のエマの髪の色と同じ、真っ青な色のドレスを身に付けているのがいたたまれないのです。

アデルの祈り倒したいであろう僅かな望みとは裏腹に、現実は当たり前に残酷です。

エマはもう、アデルとは別の世界に行ってしまっていたのでした。

ハッキリと気付いたアデルは、「完全な別れ」を悟ってうつろに歩き出します。
その後ろ姿に、彼女の「悲壮」ではなく、「新たな決意」を感じ取りたいのですが。

彼女の心の内が知れないまま、映画は暗転します。

その直前、アデルを想う一人の男が、アデルの去っていく道とは別の方角へ彼女を探しに行きました。
いずれ正しい道を辿り、アデルに追いついてくれればと願います。

彼はアデルと同じく、夢の道よりも、不動産屋という現実の道を選んでいました。
エマとの間に生じていたようなズレが、彼にはないと分かるこの示唆は、アデルの真の幸せへの道標ではないでしょうか。

何度も言いますけど、アデルにとってエマとの恋は、「人生の道筋によく転がっている一介の恋」でしかなかった。

…きっとそうなのです。

だから元気を出してくれよと、誰かアデルに伝えてもらえませんか?

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Posted on 2015/02/19 Thu. 22:50 [edit]

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 |  # | 2017/03/04 00:57 | edit

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