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※ネタバレがある時は、必ず<赤字>で標記します。点数の説明はこちら。

フューリー /戦争映画は、ヒーロー映画になりえない。 


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 フューリー
 (2013年 アメリカ映画)
 79/100点



<ラストのネタバレをしています。>


第二次世界大戦が舞台の戦争映画です。
ブラット・ピットがナチスに憎悪を燃やす軍曹・ドンを演じます。ほとんど「イングロリアス・バスターズ」レイン中尉と丸被りですね。
ただ、あちらは軽いノリのブラック・コメディーでしたが、本作はどっしり重たい戦争を、「戦車での戦闘」をメインに、大真面目に描きます。

フューリー


最近の戦争映画は、「中立的」である傾向があります。
どちらが「正義」で、どちらが「悪」などと一方的に描くことはしません。硫黄島の闘いを、わざわざアメリカと日本の二つの視点で映画にしたイーストウッドは賢明だと心底思います。「アメリカン・スナイパー」でもそうでした…が、それでも「アメリカ礼賛主義」だと批判されていましたが。

本作は、その点、「戦場における狂気」を「中立的に」描こうとしているようでした。戦場に放り込まれた者はみな、敵も味方も、人を人とも思わない狂気に落ちると。

ドンはナチスを異様に憎みます。非道な奴らだとののしります。ナチス兵にさえ銃を向けることをためらう新人の兵士・ノーマンにいらだち、無抵抗のドイツ兵を無理やりに撃たせることさえします。
しかし、中盤ではアメリカ兵たちがドイツ人の女性を乱暴に扱うのを目の当たりにし、彼は苦虫をかみつぶすような思いに駆られるのでした。
この場面、アメリカ兵にイライラさせられますし、早くブラピがボコボコにしてくんないかなと思うのですが…、実はそのアメリカ兵たちはまた、ひどい戦場のトラウマを抱え、苦しんでいたのでした。だから、ブラピは最後までにらみを利かせるだけで、手を出すことができなかったのです。

戦場は、人を狂わす。

その主題をきちんと描こうとしている様子は、よく分かりました。

ただ。

実は、それがうまく描き切れているかというと、ちょっと感じにくいです。
終盤に近づくにつれ、どうしても本作からヒーロー性を感じてしまうからです。
ヒーロー性とは、つまり、一人(少数)の武勇者が、敵をバッタンバッタンなぎ倒していく展開を意味します。あるいはランボー性とも言いましょうか…。
そういう場合は、どうしても主人公側に正義があるような描き方になりがちです。本作もしかり。終盤、壊れて動けなくなった戦車に籠城し、取り囲むドイツ兵をやっつけていく描写は、これまで積み上げてきた「中立性」を木端微塵に打ち砕き、ドイツ兵全ての人間性を否定しているようでした。正直、違和感を覚えます。ドイツ兵の心情描写などは一切出てこず、ほとんど虫けらのような描写です。言いかえると、ショッカーの戦闘員のような、「つまらぬ者」としての存在感しかありません。

…話が大きくズレますが、漫画「ワンピース」に出てくる海軍の兵隊の描き方にも、不快な思いがします。
もの凄い「その他大勢」な感じなのです。圧倒的な力を持つ能力者の前に、何人束になっても役立たずなのです。それが、普通の人々の人間性を否定する描き方に思えて仕方ありません。第一それならば、強大な能力者に兵隊たちを向かわせる理由がわかりません。能力者同士だけで闘えばいいことです。つまり、「引き立て役」に過ぎないわけです。なんか…、腹立つんですよね。トップ未満の者には価値がない、と言わんばかり。これ、教育的にかなり悪影響だとさえ思います。

フューリー3


…話を戻しまして…。

本作もまた、主人公・ドンは、やはりブラピが演じているからなのか、どうしても「いいヤツ側」の特別感を漂よわせます。スターのキャスティングというのは、考えモノですね。

また。
戦場でとても使いものになっていなかった弱腰(良心の塊とも言える)のノーマンが、愛する女性を殺されたことによって、一気にやる気スイッチが入り、メッタンメッタンにナチに向かって銃撃していけるようになるってのも、「覚醒!」みたいなヒーロー性を感じずにいられませんでした。それに、最後は本当に「英雄」になっとるし。

この強い違和感はなぜなんだろーなーと考えていたら、すとんと腑に落ちるレビューを見つけました。

↓それがこちら。
『地球連邦軍広報局電子掲示板/怒りのフューリー感想』


そうそう。
上記の感想にあるように、戦闘場面になると、途端にドイツ兵が間抜けな描写に成り下がり、主人公側のヒロイズムが強調されるのです。
この戦い、実は史実であるということですが、それもまたプロパガンダの臭いがします。だったら、「中立性」など初めから捨てていたらいいのに、とさえ思ってしまうのでした。大批判を食らうでしょうけれど。

余談ながら、史実以外の最近の戦争アクション映画では、もはや敵は「人間」ではありません。「宇宙人」だったり、「ロボット」だったり、「ゾンビ」だったり。仮想敵国の「人間」を相手にすることは、よからぬ波紋を呼んでしまうからなのだといいます。

フューリー4


さて。

ドンは頼もしく、「部下を死なせん」という使命感を持ち、それを実践している「上司にしたい人No.1」の風格ですが、終盤では「無謀」な戦車内での籠城戦を提案し、部下たちをおののかせます。40分待たせている客の注文である「店長こだわりのグラタン」の調理が、まだお湯の段階であると聞かされた時のウェイターの驚愕を、はるかに凌駕したに違いありません(…あばれる君のネタです…)。

しかし、「ここが(戦車が)、オレの家だ」と断言するドンの想いに触発され、みな、籠城を決意するのです。

戦場に苦しめられているはずの男たちの、戦場から離れることができない「哀しみ」が胸をつこの場面…。いったん逃げてもよかったんじゃないかなー? …などと言うのは、野暮でしょうね、きっと。

彼らは、もはや一蓮托生の家族。いや、死地を共に乗り越え、血よりも濃い繋がりを持っているのです。ドンだけを置いて逃げる事はできない…、でも、きっと本当は逃げたかったはずです。それを想うと、やはりとても「哀しい」のでした。

とはいえ。

そんな彼らに次々とやられていくドイツ兵にだって、「哀しみ」はあるはずです。
しかし、最後の籠城戦闘の最中、そんな描写を見ることは一切なく、ショッカーの戦闘員やワンピースの海軍兵よろしく、メッタンギッタンにやられていく「その他大勢」に過ぎませんでした。

ただ。
最後の最後になって、ようやくドイツ兵の一点の「心」を描く場面があります。一瞬です。生き残ったノーマンを、一人のドイツ兵が見逃すのです。これは、捕えたドイツ兵に容赦のなかったアメリカ兵との皮肉な対比となっています。
が。
英雄的な死を迎えたブラピの「正義ヅラ」が邪魔をして…、やはりどこか中途半端。

戦場は、人間を狂わす。

人が人でなくなる。
それは、どちら側の人間でも同じこと。
それでもなお、皆、間違いなく「人間」です。それぞれの「人間」は、それぞれの人生において「主人公」であるという描写が、史実の戦争映画には、絶対に不可欠なのだと思います。

お堅くなりまして。今日はこの辺で。

フューリー5


*余談ですけど、昔「オースティンパワーズ」で、「その他大勢」の戦闘員が主人公にやっつけられた後、その戦闘員の家族が悲しみに打ちひしがれ、葬式のシーンが始まる…というネタがすごく好きでした。そう、そう、大事なのはそこなんだよ!


   

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Posted on 2015/04/18 Sat. 13:40 [edit]

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