素人目線の映画感想ブログ

素人による、素人のための映画感想・レビュー。 映画文法や方程式なんのその。

永遠のゼロ 戦争賛美…? 


 eiennno s
 永遠のゼロ
 (2013年 日本映画)  80/100点


以前『フューリー』の感想の際、史実の戦争映画は「ヒーロー映画」にはなりえない、と書きました。
少しでもヒロイズムを見せると、途端にそれは「戦争賛美」と批判を浴びます。
『アメリカン・スナイパー』のような、戦争で深い心の傷を負った兵士を悲しく描いてもなお、「戦争賛美」と言われてしまうほど、こういった題材には過剰なまでに厳しい目が向けられるのです。
本作も、まんまとその批判にさらされていると聞きました。
原作を読んでいたので、え―嘘だろーと思いつつ鑑賞してみると。
安心しました。映画版でも、正直、「戦争賛美」を感じることは一切ありませんでした。「戦争賛美」かどうかは、当然「戦争に行ってみたい」「戦争って必要だ」と感じさせるかどうかで決まると思います。その観点から、本作はれっきとした反戦映画なのだと分かりました。これを「戦争賛美」ってのは…? 映画全体に被害者意識が強く、加害者意識が描かれていないという指摘もあるのでしょう。確かに本作はそうです。しかし、多くの戦争映画は「被害者意識」で描かれます。「加害者意識」が描かれていても、アメリカ映画『パールハーバー』なんか、清々しいほど肯定していましたけど。
本作はあくまで、いち特攻隊員の悲劇を描くことに中心を置いた映画です。戦争全体を描いているわけではありません。『風立ちぬ』が、ゼロ戦を作った男の悲劇を描いただけだったことと同じように。
本ブログでイデオロギー論争みたいなことはしたくないのですが、一人の日本兵の悲劇を描くことが、なぜ「戦争賛美」につながるのか、よく分かりませんでした。

まーね、原作者がねー。まーねー。

なにかとお騒がせな本作の原作者。
原作者が暴れれば暴れるほど、作品の印象が実際とは異なって伝わっていくという悲劇。
本作の原作にしても、「海賊と呼ばれた男」にしても、非常に面白い小説ですけどね…。
そんな原作者が今なお、ひと悶着もふた悶着も世間を騒がしている昨今に、先日、堂々と金曜ロードショーで放映されていた本作を鑑賞。
こまごまと作業の合間に観るという、不届きな鑑賞でしたが、久しぶりに感想をば。


あらすじは、「現代。司法浪人中の佐伯健太郎は、実の祖父が第二次世界大戦中に特攻で亡くなったことを知る。その祖父・宮部久蔵の人物を探る健太郎だったが、元・戦友から「海軍一の臆病者だった」という非難を聞く。しかし、特攻を拒否していたはずの宮部が、なぜ特攻を決意したのか。健太郎は多くの戦友から話をきくうちに、少しずつ宮部の本当の人物像を知っていく…」というお話。


物語は、現代と過去を行ったり来たりして描かれます。
その構成は、生き抜くことにこだわっていた宮部が、なぜ特攻を決意したのかを探るミステリーとしての面白さを作り出します。
それと。
物語のテーマのひとつである「先の大戦の犠牲を礎として、現代の平和がある」ということを描くためでもあります。

物語中盤では、そんな意識の欠片もない健太郎の友人たちが、「特攻隊」を「自爆テロ」と同列視し、ケラケラ笑っているという不快な場面があります。カッとなって反論する健太郎が頼りなくて歯痒いものです。しかし、若者の第二次世界大戦への意識なんて、そんな程度ではないでしょうか。
愚かな先祖が愚かなことをしでかした、というだけの意識。
私たちの世代が戦争について受けてきた教育は、とにかく「日本が悪い」「愚かだった」の一点のみでした。むしろ加害者意識ばかりで被害者意識は乏しく、アメリカに占領されて良かったね、という結論を子供心に植えつけられていたように思います。無論、日本兵はひどいものだ。残虐だ。最低だ…ということも併せて。
しかし、諸説あることは置いておいて「日本が悪かった」としても、その「日本に従属していた民間人・兵士」までも一緒にして、「悪者」にしてはいけません。時代劇で、「であえ、であえ」で、事情も分からないまま出てきた下っ端みたいなものです。殿様が悪いばっかりに、正義の味方ヅラの、きらきらした着物を羽織ったお調子者に、手下がギッタンギッタン打ちのめされるのと同じです。罪もないのにあんまりです。
今の我々には想像も出来ないほどの悲劇を、あの時代の人々は背負わされていました。そのつらい時代を経たからこそ、ようやく「戦争の悲惨さ」を知り、日本は戦争を遠ざける国になることが出来たのです。少なくとも、「戦争」という不幸のない時代を生きることが出来ている我々は、いわば我々の身代わりとしてあの時代に呑まれた人たちに、感謝と追悼の気持ちを持つ必要があります。それが概ね、靖国神社の存在意義でもあると思います。それもまたなぜか、非難の的になってしまうのですが。

反対に。
日本軍の上層部には、愚かな側面がありました。
本作でも(原作は特に)、日本軍上層部の体たらく、作戦ミス、人権無視などがいくつも指摘されていました。
そしてその最たるものが、特攻だったのです。
かつて特攻兵であった男は言います。
「九死に一生の作戦であれば喜んで戦う。しかし、特攻は十死零生。こんなものは作戦ではない!」と。
日本が戦争で負けた要因はいくつもあるのでしょうが、その一つに、「命を粗末にした」という点があったかもしれません。
本来、負け=死であるはずが、死=美徳となるわけですから、「負けない」工夫が生まれにくいのではないでしょうか。原作によれば、命を大事にしない為に、優秀な兵士がいなくなる、若手は育つ前にいなくなるという、物質的な不足に加え人的な不足にも陥り、さらに負けを招くという悪循環を生んでしまっていました。逆にアメリカの兵士は、負けても生きて逃げ帰り、どんどん経験を積んで強くなっていくのです。現に、当初は効果が絶大であったとされる特攻作戦も、アメリカ側の巧みな研究により、映画の通り、成果を下げていったわけです。

負け戦の間際に、無謀な上官を持った兵士ほど悲しいものはありません。『ヒトラー 最期の12日間』を観ると、ドイツ兵も同様だったようです。追い詰められ、狂気さえ纏いながら声を荒げるヒトラーに、恐る恐る進言する部下のやるせなさといったら…。

さて。

本作の物語はフィクションです。主人公である宮部は架空の人物です。自己よりも、国を、仲間を、部下を、なにより家族を大事にする宮部の人物像は、あの時代には似つかわしくないと思えるほど「繊細」と感じます。しかし、実際に宮部のような人物はいたという証言もあるそうです。この部分がまた、本作が「戦争賛美」という意見を焚き付けている面でもあるようです。特攻は間違いなく人権無視の、無謀で、残虐な作戦であり、二度と許されることでないのは誰でもわかっている事。ただ、その特攻に従事した兵士の想いが、「誰かを守るため」であり、「清々しかった」という描写までも否定する必要はない、と思います。それは「戦争賛美」ではなく、あくまで「人間賛美」もしくは、「日本人賛美」です。あの戦争から、加害者意識ばかりではなく、被害者意識ばかりでもなく、過酷な戦場のいち兵士たちの「美しい想い」を掘り起こしてみたっていいのではないでしょうか。その想いに応えようと、戦後に生き残った者達が懸命に今の「平和」を築いたのならば、特攻機が敵艦に到達できなかったとしても、それが最大の戦果だと言えるのです。

ところで。
原作を読んで感銘した私が、この映画を今まで避けていたのは、主人公・宮部のキャスティングが合わない気がしたからです。私はどちらかというと宮部をスラリと背が高く、朴訥な雰囲気をイメージしていたのですが、岡田准一は背も低いし、顔立ちがキレイ過ぎなのでは…? と思っていたのです。そしたら、驚いたのなんの。特に、後半からもぬけの殻になってしまう宮部の目が、本当に死んでいるような暗い目をしていることに戦慄しました。彼は、完全に宮部久蔵だったのです。すごい役者さんになったものですね。ドラマ『タイガー&ドラゴン』で、すっごくヘタな落語をしていたイメージがあったもので…。

宮部が「死」を恐れた理由は、「家族」を路頭に迷わせたくない、という想いからでした。それ自体、よく考えてみると随分と自分勝手のようにも感じます。特にあの時代であればそうでしょう。乱戦を避け、はるか上空で待機する宮部は、仲間を見殺しにしていることにもなりかねないのですから。しかし、宮部は恐らく、前述したように「死=美徳」ではなく、「死=負け」だと考えていたのかもしれません。もしくは、賢明な宮部のことだから、「この戦争は負ける」と察していたのかもしれません。だからこそ、彼は自分の教え子が、特攻で無駄に命を落とさなくてもいいように画策していたのです。

本作では、タイトルにある通り「ゼロ戦」の映画でもあります。ゼロ戦の航空性能が凄く良かったが為に、人間性を無視した作戦も強行されます。片道3時間半かけて戦地に行き、帰りの燃料を考慮して15分だけ空戦を闘い、運良く生き延びたらまた3時間半かけて基地に戻る…。これがどれほど苦痛な作戦か。仕事で、博多から鹿児島まで車で往復することがありますが、これがちょうど往復7時間。これを、休みなしはあり得ません。しかも、とんでもない緊張感と疲労を抱えた上で…。
しかし、原作では「ゼロ戦」についてかなり勉強になりますが、映画では、そこまで専門的な描写は少なかったように思います。宮崎駿は、本作を「ゼロ戦神話のでっち上げ映画だ」と、(恐らく映画を見ずに)暗に非難し、本作の原作者の怒りを買っていました。…が、本作はそこまで「ゼロ戦すげーよ!」という映画にはなっていなかったと思います。宮崎駿は、自身もゼロ戦賛美と受け取られかねない映画を作ったものだから、バランス取りで「良い子発言」をしているような気がして、ちょっとズルいかな、とも思います。

さてさて。

映画はラスト、宮部が特攻を決意した理由について語られます。
そして、宮部は特攻に向かうのです。
そこで、またもや賛否分かれる描写があるのですが…今まで、敵艦戦に到達さえできずに撃ち落されていた特攻機でしたが、宮部の操縦する機体は、見事に敵の弾丸を避けます。おののく米兵。…正直に言いますが、高揚しました。ここは、完全に『フューリー』の終盤と同じく、『アメリカン・スナイパー』のラストのスナイプシーンと同じく、ヒロイズムが感じられる描写だったのです。「戦争賛美だ!」という声が聞こえます。しかし、それでも「特攻すげーよ」と思わせるシーンではないはずです。宮部のあの力を活かし続ける能力が日本軍にあれば、あの戦争は勝っていたのかもしれない…いや、そもそも戦争を回避し、優れた外交で乗り越えたかもしれない…と、私はなぜか根拠なくそう感じ、ただただ悔しく思うばかりです。

ただ、最期の宮部の不敵な笑みは、諸説ありますが、ちょっと変です。私は、「宮部の特攻成功」を、単に表情で表しただけではないかと思っています。ただ、本作の脚本には、「澄み切った笑顔」とあるそうです。実際の、特攻に赴いた方々の記録映像では、確かに驚くほど清々しい笑顔を見せています。しかし、あの「ニヤリ」という表情は、ちょっとそういう感じではありませんでした。

それからそれから。

最期に本作一番の不満点を言います。宮部を憎んでいた男が戦後に宮部の妻の窮地を救った描写を、セリフだけで済ましたことが残念です。ここはしっかり映像で魅せてほしかった。

戦後70年。「集団的自衛権」の問題が起きています。戦争を回避する為の法案なのか、それとも、戦争を実行するための法案なのか。しかし、特攻という作戦も含めた先の大戦の記憶・記録がある限り、日本人が再び「戦争」の道に進むことはない、と私は思っています。本作が被害者意識満載の映画であっても、戦争を否定する意識を植えるものであれば、それは十分に意義があるものです。そして、無謀で愚かな戦争だったとしても、そのどうしようもなく無残な記録の山の中から、確かに価値のある「美しき想い」が掘り出され、後に続く日本人に「誇り」と「感謝」を呼び覚ませるのであれば、それは決して「戦争賛美」とはいえません。

本作は、決して「戦争賛美」ではないのです。


    

記事を読んで頂きありがとうございました。
↓よかったらランキングにご協力ください。
にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ 

 <スポンサードリンク>

人間ドラマの関連記事

 <スポンサードリンク>

Posted on 2015/08/05 Wed. 00:11 [edit]

TB: 0    CM: 0

05

コメント

Comment
list

コメントの投稿

Secret

Comment
form

トラックバック

トラックバックURL
→http://eigamove.blog.fc2.com/tb.php/261-af82f43a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

Trackback
list