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フォックスキャッチャー 撃たれたのは、どっちだ。 


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 フォックスキャッチャー
 (2014年 アメリカ映画)  85/100点


悲劇の実話を元にした本作は、第67回カンヌ国際映画祭で「監督賞」を受賞しました。
傑作です。
サスペンスチックな映画なのかと思っていましたが、大半は骨太の人間ドラマです。物語は、スポーツ選手の不遇を軸に、やがて訪れる信じがたい悲劇に向かって淡々と進みます。基本的に物静かな映画だし、興味も知識もないレスリングが題材ですので、退屈のようにも思わせますが、登場人物たちの間から浸みだしてくる不安定な空気感や、途方もない結末がにじり寄ってくる緊迫感に、ぐいぐいと引き込まれていったものです。

あらすじは、「レスリングの金メダリストでありながら落ちぶれた生活を送るマーク(チャイニング・テイタム)は、富豪であり、レスリングとアメリカをこよなく愛するジョン・デュポン( スティーヴ・カレル)から支援を受けるチャンスを得る。マークは、父親代わりであり、同じくレスリングの金メダリストでもある兄デイブの元を離れ、デュポンが創設したフォックスキャッチャーと呼ばれるチームに加わって練習を始めるが、次第にデュポンの本当の目的と異様な人間性にふりまわされ始め…」という物語。

フォックス5


<ネタバレしています。>


本作で最も印象的であり、興味をひいたのは、大富豪ジョン・デュポンの人間性です。
なんという温度の低い人物像なのでしょうか。
レクター博士でも、もうちょっと愛嬌があるというものです。
常に眉間にしわがより、目を細めて人を疑っているような顔つきです。どことなく、プーチン大統領を想い起しました。
彼が最初に登場した時点で、相当に厄介な人だぞと見てとれます。人を見下しているような興味がないような…実に感情の読めない態度を取ります。
しかし、レスリングと国家を愛しているという彼は、元オリンピック選手で金メダリストのマークのスポンサー兼コーチとして名乗りを上げます。レスリング選手の不遇や援助の意義について、もっともらしく語ります。しかし、何を考えているのか分からない怪しさは、常に彼から漂ってくるのです。
物語が進み、彼の不遇な家庭環境が判明するにつれ、私たちは、ようやく彼の人間性の奥を覗き込むことになります。馬を愛する彼の母親はまた、彼と同様に感情が見えません。しかし、レスリングを嫌悪していることを彼にはっきりと告げます。
デュポンは、自分を否定する母親に、認められたい一心なのです。焦燥さえ感じます。それは、憎悪にまで行きつくほどだったかもしれません。母親が、気まぐれに練習場に現れるや、可愛らしいことに、突如選手たちを集め、これ見よがしにコーチングしてみせます。しかし、母親が素っ気なく去っていくと、彼は茫然と立ちすくむのでした。
彼の哀しい感情が、一気にこちらに流れ込んできます。
彼は、友達がいません。親友だと思っていた者は、母親からお金を渡されていました。彼は高齢者向けのレスリング大会に出場して優勝しますが、自分の預かり知らぬ所で、対戦相手はお金を掴まされていました。
彼は、お金の力によって、偽りの人生を送っていたのです。彼自身も、お金で全て解決できるように錯覚しています。自分の思い通りに人が動かないと、「いくらいるんだ」「金に糸目はつけない」と迫るのです。
彼が異常な自己顕示欲や支配欲にかられるのは、そうした人生の無価値に気付き、真の人生を取り戻したいという渇望にも起因したのではないでしょうか。やり方は、全く間違っているのですが。
それを考えると。
マークが全国大会で優勝すると、喜んでマークと抱き合ったり、チームと一緒に酒を飲み、彼の出来る最大限のはしゃぎっぷりでおどける姿には、彼の真の人間性が隠れているように思うのです。彼の幼い頃からの人生の歩みが、一歩正しければ、彼は健全な人間性を持ち、本当の成果を成し遂げる人物になっていたのかもしれないとさえ思います。

しかし。

いつまでも、母親への承認欲求を抱え続けることになってしまった彼は、大人になっても子どものような人間性のままなのです。自分の思いが叶えられなかった時、わがままな癇癪を起してしまうのです。彼は、マークの父親でもあろうとしていましたが、じきにそれが破たんするのは、むしろ当然だったと思います。
デュポンを演じるスティーヴ・カレルは、コメディ映画でよく見かける人なので驚きました。アカデミー賞の主演男優賞ノミネートも納得の変わり映えだったのでした。

フォックス


さて。

マークは、朴訥とした青年です。レスリング一筋なのです。彼は、1984年のロサンゼルス・オリンピックでの金メダリストですが、貧しい生活を送っています。日本でも、スポーツ選手の自費負担の困難・国の補助の不整備が報道されますが、アメリカでも同じようです。それにも関わらず、「USA」という軽々しい歓声と共に背負わされるプレッシャーの重みといったら…。従って、マークがデュポンの申し出に嬉々として乗ったのは無理もありません。しかし、これまで兄に父親代わりとして支えてもらっていたのですが、兄から離れるや、一時期を除き、次第に力を失っていきます。というより、練習をさぼったり油断したり…彼は自己管理能力のない人物だったのです。一人の力では、何かを成し遂げるほどの精神力を持っていなかったのです。
物語終盤で彼は、一度は信頼したデュポンに裏切られた思いを抱えるようになります。マークについては、いろいろと思う所がありますが、下記の後述にて。

多くの欠陥を抱えた上記二人と異なり、マークの兄・デイブは、非常に優れた人間です。両親がいないため、マークの父親代わりとして、実におおらかに彼に接します。マークが不満を抱え、デイヴに対しても反抗的に荒れている時でさえ、感服する程の包容力をみせます。微笑みを絶やさず、彼に諭すように語りかけ、無視をされても、追求せずにうんうんと頷いてあげる姿は、まるで賢人です。さらには、良きパパとして、妻と二人の子どもを支えています。非の打ちどころがないこの人格は…確かにちょっと鼻に付くほどです。
痛々しく思ったのは、彼の清廉潔白で正直な性格と、マークと家族を思いやる気持ちと、現実との折り合いに悩む場面でした。デュポンの命令により、フォックスキャッチャーチームのドキュメンタリーが制作されるのですが、撮影カメラマンは、デイヴに対し、デュポンへの歯の浮くような讃辞を要求します。その頃、彼はデュポンの人格のおかしさや、マークとの関係の亀裂にも気付いていました。嘘をつくことをためらっていた彼ですが、彼の望みである「家族との安定した暮らし」の為に、苦渋の想いで言葉をひねり出します。が、…完全に目が泳いでいるのです。露骨に苦しげな顔をしてみせる彼に、カメラマンはあっけにとられます。

そうして考えると、3人は3人とも、どこか社会性の欠如を感じさせます。もとより、大富豪にスポーツバカですから、致し方ないのかもしれません。3人を結ぶ糸は、どこを引っ張ればほどけるのかさえ分からないほど、ねじれにねじれていきます。無理に引っ張ろうとすればするほど、強烈にゆがんだ結び目を作り出し、息苦しいほど3人を締め付けていくことになるのです。

フォックス3


<結末のネタバレをします。>


デュポンの最後の凶行には、正直驚きました。事実なのだから、仕方ないのですが、「そっちか」と思ったものです。
本作は、「富豪が金メダリストを撃つまでの軌跡の物語」であることは、公式HPでも明かされています。しかし、本作に金メダリストは二人出てくるのです。
マークと、兄・デイヴ。
物語の流れで単純に考えると、犠牲者は、デュポンとの仲が冷え切っていたマークだとばかり思っていました。だから、人間性に優れ、史実でもデュポンに尽くしたと言われているデイヴに銃口が向けられた時、まさかと思ったものです。てっきりデュポンの車は、デイヴの脇を通り過ぎていくのかと思ったから、停車した時には正直背筋が凍りました。

デュポンは、いつもの無表情で、あいさつの言葉を投げるように引き金を引きます。
どれほど鍛えているレスラーであろうと、凶弾はお構いなく体にめり込み、命の灯を弄るのです。

それは、デイヴの妻の目の前で。

動機ははっきりとしません。
・約束通り、マークに金メダルを取らせなかったから?
・自分がマークの父親代わりが務まらなかったことへの苛立ちから?
・マークと引きはがされたような思いがしたから?
・ドキュメンタリーで、不満そうに彼の讃辞を口にしていたから?
・史実では、彼は統合失調であり、デイヴに命を狙われていたという妄想に駆られたといいます。

母親の死も、デュポンの心を乱した一つの理由であると思います。ついに、自分を認めることなく去った母。彼はこの時、人生を見失ったのかもしれません。

元来、支配欲の強い人間は危険です。常軌を逸した執着心も抱えているからです。思い通りにいかないと、自己を省みず、全てを破壊してしまおうと目論むことはよくあることです。ホントは、マークもデイヴも彼に関わってはいけなかった。しかし、賢明なデイヴでさえ、疑心を持ちながらも彼に頼らねばならかなかった程、スポーツ選手の恵まれない環境は深刻だということ。

最後に。

兄の死をマークがどう受け止めたのか、映画では一切語られていません。本作の最大の不満点はそこです。
是非、知りたかった。
マークは、物語終盤にはデュポンを避けるようになってしまっていました。無論、デュポンの心無い態度が原因なのは、分かります。しかし、ほんの一度、デュポンが彼の怠惰を見かねて放った言葉ではないですか。デュポンが支離滅裂であったことも確かです。兄と離れても君はやれる、とマークを励ましておいて、簡単にそれをひっくり返しました。
しかし、デュポンの異常性は当然としても、それはマーク自身の力不足にも原因があることです。
中学生や高校生の反抗期のように、それで拗ねて、誰のお金で暮らしているのかも忘れ、とことん不機嫌にしてみせるマークには腹が立ったものです。
それを、怒鳴り付けもせず、どう接していいか分からないながらも彼に近づこうとするデュポンには、実は同情の念さえ起きました。彼の無表情に透いた、戸惑いの影を見たのです。

デュポンは、やはり心からマークを慕っていたのではないのか。

それでは、デュポンを追い詰めたのは、マークではないか。(もちろん、これはあくまで映画・作劇上での話です)

前述したように、デュポンの本当の人間性は、本物の友情を欲するほど純粋で、臆病で、哀しげだったのではないでしょうか。
犯行後、うつろ気に歩く彼の脳裏にあったのは、マークか母か、それとも…やはり自分自身か。


フォックス6


  

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Posted on 2015/10/10 Sat. 12:43 [edit]

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