ズートピア【感想・レビュー】ディズニー映画への偏見が吹っ飛んだ!

タイチ

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 ズートピア
 (2016年 アメリカ映画)  
 90/100点



ディズニーは苦手なんです。

そもそもポジティブシンキングな空気の映画は、素直に見られないのです。ツッコミどころを探そう! と意地悪な気持ちが首をもたげるのです。

けど。
心底参りました。ここまで、エンタメを完璧に仕上げられるとグウの音も出ません。突っ込む気も起きません。王道にツバを吐こうと目論んでいたのに、ごくりと飲み込みました。

本作はもう、抜群に面白いですよ。

できれば、家族やデートなんかでの鑑賞がオススメです。鑑賞後はとても晴れ晴れしく、そして本作をチョイスしたことに誇らしい気持ちになれることでしょう。

あらすじは、憧れの警察官になった田舎のうさぎのジュディは、大都会ズートピアに赴任する。しかし、外見の非力さのためにある行方不明事件の捜査から外される。そんな中、詐欺師のきつね・ニックと出会ったジュディは、一緒に捜査を開始するが、行方不明事件の背後には、ズートピアを揺るがす巨大な陰謀が隠されていた…というお話。

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<極力、ネタバレを控えています。>


ディズニー映画のCG技術は年々進化していっているように思います。絵の緻密さと美しさ、キャラクターの愛らしさと動きの小気味良さは、見ていて本当に気持ちがいいです。笑いのテンポもキレッキレ。もちろん、それだけなら、いつものディズニー映画じゃんと冷めていたことでしょう。

しかし。
本作で何より驚いたことは、物語の面白さです。『ベイマックス』の時の薄っぺらい王道ストーリ―とは違い、本作の物語には、王道ばかりでは終わらない、意外過ぎる仕掛けが数多くあります。

まず。
大人向けのミステリーをデフォルメした味付けが絶妙です。

・本格ミステリーのように地道な聞き込みで、少しずつ真相に迫ります。監視カメラの映像を追いかけるっていうリアル路線にも驚きました。そこは、犬の嗅覚かなんか使うんじゃないんだなーって。

・物語に深みを与える裏社会のボスの登場が、まんまゴッドファーザー(娘の結婚式中だなんて!)なもんで笑わせます。

・無数の伏線と回収の巧さも感心しきりです。おまけに子どもにも理解できる分かりやすさと楽しさ。「髪をドレスアップしたネズミ」「トイレ落ち」「夜の遠吠え」「イタチ泥棒」「冒頭のお芝居」などなど。伏線と展開のあまりのキレイな繋がりに、涙腺が緩むほど感激したものです。

・ここで終わりか、と思わせて話が二転する辺りが、本当に秀逸です。巧いこと捻ったなー! と心の中で賞賛の嵐でした。

ズートピア

そして。
物語の中には、もう一つ、重要なファクターが仕込まれていました。それは、「人種差別」という社会的なテーマです。これが、活発なキャラクターたちに哀しい影を作るので、まんまと引き込まれてしまいます。

冒頭から、スートピアは「肉食動物」と「草食動物」が分け隔てなく暮らす平等な世界であることが説明されます。しかし、美しき世界のように見せかけ、実は、この世界が(現実と同じく)様々な偏見にまみれていることが明るみになっていくのです。

例えば。
主人公のジュディはうさぎであるために、警察官になる夢を両親に反対されます。「うさぎのような非力な存在に、警官が務まるわけがない」というわけです。「うさぎは人参でも作っておればよいのだ」と決め付けられるのです。

ジュディの父親の言葉が、あまりにも直接的で、衝撃です。「夢を持つのはいいことだ。努力すれば叶うと、思わなければね」だって!



ここでちょっと逸れますが…
両親の言葉は、たぶん彼らの体験から来ている言葉だと思います。かつて、夢が潰れた経験があるんです。甘くない現実に打ちのめされ、傷ついた経験があるからこそ、彼らはジュディの夢を阻もうとします。すなわち、傷を負ってほしくないという親心です。

その両親の気持ちは分かります。この言葉を非難することは出来ません。親という生き物は、極力子供には、愛情ゆえに「無難な道」を進んでほしいものなのです。

「やってみないと分からない」という声が聞こえますが、それは、その子の人生を背負っていない無責任な立場だから言える言葉です。現実では、確かに努力したって夢が叶うとは限らないのだから。

「漫画家になりたい」という子に最近よく出くわします。そのために、勉強を放棄し、漫画を描いている子がいます。親は当然心配します。その時、親や周りの大人は、出来るだけ反対していいのです。夢の実現の難しさを、とうとうと語ってやっていいのです。それでもその子が、「なれる自信がある!」と猛進できると言うならば、その時は逆に応援したらいいのです。

その子が、自分自身で選択の責任を負うのであれば。

「声優になりたい」という子がいました。これまた「危うい夢」です。親は大反対しています。しかし、その子は親の反対を押し切り、数々のオーディションをクリアしていました。そこまで突き進む想いがあるなら、応援していいと思います。

ようは、「覚悟の度合い」を確認するのが、親や周囲の大人の役目なのです。


話しを戻しまして…。
本作では、ジュディはあっという間に警官になるのでした。もともと、ノーテンキで鈍感な子だったジュディは、親の反対の真意がよく分からなかったようです。ガキ大将にコテンパンにされたことで、一層警官になる覚悟が固まるというポジティブな性格も良かったのでしょう。

しかし、その後にジュディを待つのは、「うさぎであるがための、不遇」でした。非力なジュディは、自身の望んだ捜査から外され、駐車禁止の取り締まりに収められます。

後にジュディの相棒になるキツネのニックも、「きつねであるがために」誰からも信用されないという傷を負っていました。「所詮、オレなんか」という無力感に満たされていたニックは、期待に応えてやるとばかりに、「詐欺」に精を出すのです。「レッテル張り」をすることで、実際にその通りになるという社会学的な現象です。

ネタバレになるので書きませんが、終盤で起こる「ある差別」の展開が凄いです。差別する気のない者が放った差別だからこそ、この課題の重さを感じました。

差別とは、「決めつけ」です。「うさぎだから、人参をつくっていればいい」「きつねだから、信用ならない」という偏見です。確かに、そういう奴もいるのでしょう。いけないのは、そういう奴を数人目撃しただけで、「その種族の全てがそうだ」と決め付けることなのです。

「○○人だから、野蛮だ」「女性だから、役職に就く力はない」「オタクだから、ネクラな奴に決まってる」 現実の世の中の差別を、本作では動物の種族で表しているのでした。

ただ。
本作への批判には、「差別はダメ」といいながら、「免許更新センター」の職員(ナマケモノ)を、ノロマだとレッテル張りして笑いにしたり、駐禁の仕事を軽んじる表現をしているではないか、という声があるようです。

しかし。
実はそれも織り込み済みで、「世界はやはり差別まみれ」という表現であるといいます。

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ちなみに。
ジュディが警察署で被ったことは、差別ではありません。うさぎのジュディが、他の警官である水牛やサイ、トラといった奴らより非力なのは事実で、それは「差別」ではなく、「区別」です。

ここで問題なのは、「警察官はパワフルでないと務まらない」という古めかしい職業観なのです。

差別が、「理由のある区別」である場合、ここを変えない限り解決に至りません。本作の主人公はそれをやってのけます。ジュディがニックと組み、知恵と勇気を使った素晴らしい捜査力を披露したことで、「捜査に欠かせないのは、腕力だけじゃない」という新しい職業観を生み出したのです。これは、世の中の「差別」を克服する上で重要なことだと思います。

世の中に当然に蔓延している差別に対し、不当だと愚痴っているばかりではなく、「その差別が間違っている」根拠を相手に突きつける努力が必要なのです。

だから。
建前だけ、「平等にしよう」という空気は嫌いです。女性管理職の割合に数値目標を義務付けるなんて、逆効果だと思っています。

大事なのは、「実力を正当に評価すること」です。義務付けは「実力がなくても評価する」ことになりかねません。そんなことをすれば、「ほら、やっぱり無理だった」という反動か、または逆差別への糾弾が起きませんか。

本作では、ジュディは優秀な警官でした。そして、見事な結果を出しました。もし、結果が出ていなかったならば、やはりうさぎへの不当な扱いが続くのです。「機会の平等」の先には、「結果が重要」なのは間違いありません。

そうでなければ、良心と正義感に満ちているジュディでさえ加害者になりえる、この根深い「差別」を根絶することは不可能なのです。

また話が逸れますが。
「免許更新センター」でノロイ仕事をするナマケモノの描写に、相手の特性を尊重する「寛容さ」が大事だというメッセージが込められていると聞きましたが、私はそれにはノレません。もし他に、チーターがテキパキ作業している「センター」があれば、迷わずそちらに行きます。

ノロい特性の者が、スピードを重視される場所に配属されるべきではないのです。そうではなく、ナマケモノにあるはずの「良い特性」(粘り強いとか、丁寧とか?)を見つけ、それを活かせる場所で能力を発揮すべきです。

『うさぎと亀』でいえば、亀はうさぎに、「陸上競技」ではなく、得意な「泳ぎ」で勝負を挑むべきなのです。

「決め付け」は「差別の温床」ですが、「根拠のない平等」に「甘え」ても、それはやはり「差別の解決」にはならない、という難しさがあるのだと思います。

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ということで。

完璧なエンターテイメントの中に、しっかり刻み込まれた重みのあるテーマがあるから、鑑賞後にも様々な想いが頭の中に溢れました。それは、物語が素晴らしいからこそです。

本作は、「ディズニー映画なんて、いつも同じようなもんじゃん…」という私の偏見を、見事に吹き飛ばした傑作なのでした。


↓こちらの感想を読んで、是非見ようと思ったものです。
『ズートピア』差別と偏見を描いた大傑作の理由を全力であげてやる/カゲヒナタのレビュー


  


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Posted byタイチ

Comments 3

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やはり差別の中にいない人には分からない  

建前だけ、「平等にしよう」という空気は嫌いです。女性管理職の割合に数値目標を義務付けるなんて…という言葉がありますが、
ニックはジュディのバッジがとられそうになった時に
署長に「時間と機会が必要だ」と話しています。
機会さえないことが実際にあるのだから、それが建前だけの平等なのかそれとも、変化のためのチャンスなのか。
女性にとっては後者であり、男性にとっては前者にしか映らないのだとしたら残念ではあります。

そして、警察署でのことは「区別」だといいますが
何故、兎の方が非力だと決めつけることが周りに出来るのでしょうか。
兎は頭が良くもしかしたら力ではない何かであの人たち全員を倒すことが出来るかもしれません。

差別と区別に違いはありません。
いつも自分が持っている情報で現実を完結してしまう人が
差別を区別というだけです。


2016/09/27 (Tue) 13:55 | EDIT | REPLY |   
やはり差別の中にいない人には分からない  

まあ、でも結局は同じ人間で感情があって
その感情によって時々で言ってしまうことも違うし
主張も違うってこともあるんでしょうね。
私自身もそうだし。
貴女の他の記事を読んでそう思いました。


2016/09/27 (Tue) 14:02 | EDIT | REPLY |   
タイチ  
やはり差別の中にいない人には分からない  様

コメントありがとうございます。
すみません、コメント頂いた意味を勘違いしているかもしれないのですが…

こういった話は、かなりきわどく、ちょっとした言動の行き違いで、
相手の想いを勘違いしたりすることはよくあります。
所詮、私のブログの文章力では、うまく伝えることも難しいので、
この場でいろいろと討論するつもりはないのですが、

少しだけ。

ウサギが水牛やピューマより、腕力では敵わない傾向がある。
これは「差別」ではなく、事実に基づく「区別」だと思います。
ブログにも書いていたつもりですが、
警察所長の最大の過ちは、
「警察官たるもの、腕力が非力では役に立たない」という認識です。
仰る通り、「知恵や勇気」を振り絞れば、
怪力者以上に警官として能力を発揮することができます。
この点を、警察署長に改めさせねば、
たとえ機会の平等だけ整えても、真の平等にはなりえないと思っています。

そして、ジュディは見事に結果を出し、それを認めさせることに成功したのです。
この「結果を出す」ということも、とても必要なことだと思います。
結果も出さずに「差別」を糾弾しようとしても、なかなか耳を傾ける人はいないのだと思います。

だから、「女性管理職の割合」を数値目標にすることは、
逆説的に「差別」や「人種・男女間の争いの助長」にしかならないように思うのです。

が…。

ただ…、仰っていることを考えてみると、
確かに女性にとって、それは「チャンス」ではあります。
「チャンス」があるからこそ、能力を発揮できるということもあると思います。
「立場が人を作る」といいますもんね。

それであれば、とりあえず「数値目標」を設定することは大事なのかもしれません。
ただし、前述の通り、その後の「結果」が重要です。


追伸:
「差別の中にいない人にはわからない」というのは、決めつけではないでしょうか。

2016/09/27 (Tue) 17:10 | EDIT | REPLY |   

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