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日本のいちばん長い日 最後の決着は、日本人対日本人。 


 にほんの
 日本のいちばん長い日
 (1967年 日本映画)  90/100点


『シン・ゴジラ』の余韻が強くて、なかなか他の映画を観る気持ちに切り替えられなかったこの頃でしたが、その『シン・ゴジラ』が下敷きにしたという本作を鑑賞。2015年版ではなく、岡本喜八監督によるオリジナル版です。古い映画とはいえ、かなり面白いです。『シン・ゴジラ』との共通項をはっきりと見てとることができます。三船敏郎とゴジラの形相…ではありません。それは、徹底したエンタメ精神と、根柢にある日本人へのメッセージ―

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あまりに有名な本作ですから、あらすじは特に必要ないと思いますが、つまり、「昭和20年8月14日の御前会議によって終戦が決まってから、天皇陛下の玉音放送がなされる15日正午までの1日を描きます。」

私自身は、歴史に疎いもので。

終戦間際に、終戦を認められない一部の軍人によって、これほどのクーデター事件が巻き起こっているとは全く知りませんでした。
しかし、特に不思議なこととも思いませんでした。
あれほど日本中が戦争にまい進していたのです。それにも関わらず、終戦になってからは手の平を返したように、マッカーサー率いる連合国軍による占領を受け止めた日本人とは、良く言えば潔く、別の言い方をすれば、随分と「合理的」だと思っていたものです。本来であれば、許しがたきと憤った者たちが、長きに渡りゲリラ戦を展開してもおかしくないと思ったものです。だから、このクーデター(宮城事件)の存在を本作で知った時、妙に納得するところがあったのです。
あれほど「1億総玉砕」を掲げ、その精神性を崇高なものとあがめさせていたにも関わらず、いきなり「もう、やめようや」と言われたら、それを信じ、それを支えに仲間の死さえ受け止めてきた者達の苦悩は、いくばくのものか。まるで全てが嘘だった…全てが間違っていたと突き付けられた気がし、最後まで抵抗しようと考える者がいても、当然だと思うのです。

我々現代人は、その後の日本人の驚異の復興を知っています。だから、戦争を終わらせまいと、クーデターを犯す軍人たちを、随分愚かで身勝手な奴らだとばかり感じます。実際、本作を観ても、戦争継続派の兵士たちは、「あぶない奴ら」という描写でしかありません。しかし、当時の混沌、明日も知れない日本の中にいたのならば、「このままでは日本がなくなる。最後まで戦わねば」という考えは、当たり前に否定できないような気もするのです(それによって、死ななくても済んだはずの若い特攻兵が、一部の上官によって死に追いやられていく様子は腹立たしくて仕方ありませんが)。
とはいえ。
大多数の人が敗戦・占領をすんなり呑み込みました。その決意の源は、アメリカの圧倒的な力を目の当たりにしたことも大きいでしょうが、一番は、間違いなく、誰しもが一度は聞いたことのある、「耐えがたきを耐え、偲びがたきを偲び…」で有名な「玉音放送」だったのです。良くも悪くも、当時の日本人は、天皇陛下の御心のままだったわけで。

しかし、それでも。

一部の軍人たちは、その天皇陛下の言葉さえ、信じることができなかったのです。腑抜けた総理以下閣僚たちにそそのかされたのだと、宮内省にまで襲い掛かります。クーデター部隊が迫ってきた時、宮内省の侍従たちが重い鉄の扉を閉めますが、さび付いていてなかなか閉まらない…「敵の攻撃でさえ、使った事のない扉なのに…」という場面の皮肉が強烈です。まさかここにきて、日本人と日本人が争うことになろうとは。唖然とするほどの狂信がそこにあったのです。無論、そうなるように育てたのは、紛れもなく政府や軍部だったわけですが。

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さて。

本作にたぎっている熱量は相当なものです。もちろん、そのパワーを支えているのは豪華な出演陣。
中でも、戦争継続のために狂気をまき散らす畑中少佐(黒沢年男)が凄い。もう完全に正気の空気じゃありません。人間はここまで黒目が大きかったっけ…と思うくらい野獣のような瞳を最大限まで見開き、上官に戦争継続を懇願します。これが、焦げそうなほど暑苦しいです。しかし、あまりの迫力とまっすぐさに、彼に賛同しない上官さえも、思わず「お…おうっ」ってなります。「君の情熱には感服した。」「うん。君の純粋な気持ちは素晴らしい」とか言ってひとまず褒めます。「汗…くさいっす…」とは口が裂けても言える空気じゃないのです。

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主人公の阿南陸軍大臣(三船敏郎)の貫禄もすさまじいです。玉音放送の文言を決める際の一歩も引かぬ姿勢は迫力があります。しかし、彼は政府と部下との間に挟まれた中間管理職でもあります。先程の畑中少佐含む部下の想いも理解しているし、また、日本が今置かれている状況も存分に理解しているがゆえに、本作で最も苦しい立場に立たされているのです。何より素晴らしいのは、激しい口調での会議の後、鈴木貫太郎首相を訪れ、和やかに挨拶する姿のギャップ。本来は穏やかで誠実、理知的な人物であることがうかがえる名シーンなのです。そこでの、鈴木首相演じる 笠智衆が、「阿南君は…いとまごい(別れの挨拶)に来てくれたのだね…」とポソリと言う味わいもまた、いいですねえ。

ちなみに、本作では「天皇陛下」はあまり登場しません。その姿はベールに包まれ、神秘的でさえあります。今と違い、そうハッキリ描写するわけにはいかなかったのでしょう。原田眞人監督の2015年版では、本木雅弘が天皇陛下を見事に演じました。ここが、オリジナルである本作と2015年版との一番大きな違いであり、また、2015年版がオリジナルを越えていた唯一の部分だと思います。

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そうそうたる役者陣のセリフの応酬や、展開のテンポの良さは現代映画よりも小気味よく、全く退屈しません。2015年版では、登場人物の家族を描いていましたが、本作ではほぼありません。物語は、閣僚同士や、戦争終結派と継続派の激しいぶつかり合いの表面描写に終始します。本作に影響を受けている『シン・ゴジラ』でも、やはり登場人物の背景を描きませんでした。これによって、一切無駄のないエンターテイメントがめくるめく展開していくのです。

『シン・ゴジラ』との共通点といえば、根柢に日本人への強いメッセージが込められている点も思い浮かばれます。

本作のメッセージとは、ひとつは「平和への願い」です。これほどの苦労の末に終戦にこぎ着け、平和を築いたのだという戒めでもあります。そしてもう一つは、「日本はどれだけ窮地になろうとも、必ず大丈夫だ」という強いメッセージです。
鈴木首相は、「実は、(この先の日本を)あまり心配していないのだ」と言います。切腹の前に、阿南は後を追おうとする若い部下に対し、「死ぬよりも、生き残った方が大変なのだ」と、未来の日本を託します。
「スクラップ(破壊)&ビルド(再生)」
本作もまた、このメッセージを強く我々日本人に発しているのです。


  

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Posted on 2016/08/21 Sun. 15:47 [edit]

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