素人目線の映画感想ブログ

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葛城事件/「家族」は、不幸と幸福の源。 


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 葛城事件
 (2016年 日本映画)  89/100点


<結末以外、ネタバレで書いています。>


怖いものを観た。

もちろん、本作はホラーではありません。随分バイオレンスなシーンもありますが、それ以上に怖かったのは、「家族の中にある歪み」の描写。それは、決して対岸の火事として眺められるような「突飛」なものではありません。そこここにありそうな、とてもリアルな「歪」みです。登場人物たちの痛々しい言動や行動を、時折うつむいてしまうほど見てられなくなるのは、極めて身近に感じるからなのです。
傑作の人間ドラマであることは間違いないですが、「面白い!」というか、「ウチも…、気をつけなきゃ…」と、戒められるような気持ちになったものです。免許更新の時に見かける、「飲酒運転で事故を起こした者の人生崩壊ドラマ」くらい、人に折り目正しくさせる映画なのでした。

アメリカ映画だったら、「困ったちゃん」いっぱいの家族映画ってコミカルに描かれることも多いですけど、どうしてか日本映画ではドロオォ…っと描かれます。「家族という病」という本が売れているそうですし、「家族」は「不幸の源」という印象が広がって、ますます婚姻率を下げるんじゃないでしょうかね…?

あらすじは、「通り魔殺人事件を犯した息子を持った父親と、その家族の地獄を描く。」という物語。
↓予告編です。



では、いろいろと問題を抱えた登場人物たちをご紹介。

葛城清(三浦 友和)
葛城一家2
(百恵真っ青…)

この顔ォ…。三浦友和が、『アウトレイジ』でも見せた「悪人節」をさらにパワーアップさせ、泣く子も黙るコワモテを演じます。バラエティー番組でたまに見かける三浦友和は、寡黙でいて、どこか「怖い」イメージがあったから、まさに適役。
この本作の主人公・清は、金物屋を営むオヤジです。乱暴で粗暴で、家族に向かって強大な父権を振りかざすオヤジです。
けれど。
鑑賞前に予想していたキャラクターとはだいぶ違っていました。もっと「滅茶苦茶な」オヤジだと思っていたからです。
彼の根底には、コンプレックスがあります。父親から引き継いだ金物屋で、うだつの上がらない商売に腰を据えてしまった自分に引け目を感じているように思います。それは、長男のネクタイを「かっこいいな」と褒める場面でハッと気づきました。精一杯に強がって一軒家を建て「男は家族を守るものだ」と豪語するのも、偉そうに今の日本社会を憂いてみせるのも、中華料理屋で空気も読まず度量の狭いクレームを付けるのも、全てコンプレックスの裏返しだと思ったものです。(「父親」とか「客」という強い立場を利用してしか、自己顕示欲を満たせない寂しい人物なのです。)
その彼にとって一番大事なことは、「家族」という帝国で自分が君臨し続けることなのです。彼にとって唯一、王様(支配者)になれる場所だから。
ただ。
自分の理想の押し付けであったとはいえ、彼は一応は「家族想い」だったようにも思うのです。きっと、家族が何かピンチに陥ったら、井の一番に駆け込んで助けに来てくれるような頼もしさもあったはずなのです。しかし、残念なことに、そういった単純な愛情表現の機会に出くわすことなく、ただただ、「自分勝手に威張り散らすオヤジ」という最悪な印象を持ったまま子どもたちは育ち、嫁との溝は深まっていったのでした。
「オレが一体何をした」という、清のセリフでもある本作のキャッチコピーが印象的ですが、彼は、…間違った独善的なやり方だったけれど、「家族の為」という御旗の元、彼なりに頑張ったんだと思います。家も建て、子どもたちを育て上げる誓いとしてミカンの木を庭に埋めたり。一応は頑張ったんです。でも、その「頑張り」が、所詮は「自己満足」でしかないから、全然実を結ばないのですよ。そのことにまるで気づけないから、反省もできない。人のせいにばかりしてしまう。…これ、ほんとに「よくあること」だと思います。だからこそ、全てがダメな方に流れていく彼の押し黙った表情に、ものすごい哀れみを感じてしまうのでした。


葛城伸子(南 果歩)
葛城一家4
(ケン、オーマイガー…)

これまた…困ったお母さんです。一番気になったのは、まったく「料理」をしないこと。清はすでに達観しているようで、「なんか作ってくれ、…出前でもいいから」と料理を強制しません。初めからしないのか、ある時からしなくなったのか。そのため、家族みんなで「コンビニ弁当」ばっかりです。漫画『闇金ウシジマ君』でも、人物の生活や心の貧しさを「コンビニ弁当」をがっつく姿で表していましたが、家族そろってコンビニ弁当を食べている姿は、余計にどんよりとした気持ちにさせるのです。家族の基本、子育ての基本は、「食」だと思います。上手でなくても、お金がかかっていなくてもいいので、「手料理」が必要だと思います。以前、ラジオの「人生相談」で、「子供の非行」に悩む主婦の相談に対し、アドバイザーが「毎朝しじみのお味噌汁を作りなさい」と言っていたのを思い出しました。ちょっと極端な意見だなーとは思ったものの、しじみを扱うのはひと手間かかるそうなので、つまり「子どもの為に手間をかけなさい」という意味だったのかなと思います。毎日「食事を作る」ことは、最適な愛情表現になります。子どもはそれを見て、「自分は大事にされている」と感じることができるのです。もちろん、母親に限らず、父親がやったっていいと思います。どうも葛城一家は、父親・母親双方に「愛情表現」の乏しさがあるのでした。(愛情がないのではなく、表現がうまくないということです。)


葛城保(新井浩文)
葛城一家

葛城一家の中で、どちらかというと「まとも」に見える長男ですが、彼も実は問題を抱えていました。「弟に比べれば」出来る方だった彼は、清から期待をかけられていました。それに応えるべく、彼は「取り繕って」生きていたのかもしれません。彼は、「営業成績ゼロ」という事態を抱えていたのです。極度なあがり症を持つ彼に営業ができるわけないのです。(不幸なことに?)彼には妻と子供がいます。そんな中、仕事に息づまる「苦しさ」はよおく分かります。赤ん坊の泣き声が彼の背中に突き刺さります。「家族」という荷がなければ、彼は最悪な選択をしなかったのかもしれません。どうしようもなくなって、客なんて全くいない清の金物屋に出向いてはポソリと、「この店継ごうかな…」と「逃げ道」を探る彼の心の重たさがリアルでつらいです。生きていくってのは、不器用な人間には本当に過酷なもので。
そんな彼ですが、「父親からの期待」は、唯一自己肯定感を満足させるものだったのかもしれません。だから、彼だけは父親とうまく接していました。しかし、それはあくまで「弟と比べれば」自分はマシだという、小さな小さな優越感です。家出した母親と弟の居場所をあっさりと父親に報告するのも、弟が父親に乱暴されるのを黙って見ているのも、さもしい彼の本音を浮かび上がらせます。そしてそれは、弟から完全に見透かされていたのです。


葛城稔(若葉 竜也)
葛城一家3

彼が通り魔殺人を犯してしまう「原因」は、果たしてなんなのでしょうか。
どこから、歯車が狂い始めたのでしょうか。
それは、結局は誰にもわからないのです。
もともとサイコパスだったとしたら誰が悪いわけでもないし、母親に甘やかされたせいかもしれないし、父親が彼をいつも否定していたからかもしれないし、彼自身が言うように「10代20代をろくに努力もせず怠けて過ごして生きてきたバカが、30手前で人生終わってる状態になってることに気づいて発狂して、人生を謳歌する他者をねたみそねみで自殺の道連れにしてあさはかに暴れた!」のかもしれません。
実は自分自身に圧倒的に「自信」が無い彼は、反面、プライドばかりが肥大しています。そのため、理想と現実のギャップに苦しんでいたのだと思います。そういう人は少なくないですが、年月を重ねて精神年齢が上がるにつれて、現実を受け止められるようになるものです。しかし彼は齢30に近づいてもなも、そのギャップを埋めきれません。彼から出る言葉は、中学生レベルの痛々しい言い訳や屁理屈ばかり。それが一歩間違えば自分もそうなっていたかもしれないと思えるほどリアルなので、余計に気持ち悪くて仕方なかったです。コントなら笑えるところですが、現実として見るととても耐えられません。
彼は、父親の清と全く一緒です。タメ口や敬語を織り交ぜる話し方からして一緒だし、妙に「思想を語って」みせる部分も一緒。彼は清と同じ性質なのです。それだけに、彼らはお互いに「近親憎悪」を抱いたのかもしれません。
そうはいっても、そういう人物の誰しもが「通り魔」にはなりません。通常なら、最低限やってはいけないコトは分かります。人を殺めることで、その人やその人の周辺の人を不幸にすると想像できるからです。彼には、だから、圧倒的に「現実的想像力」がない、もしくはその機能が止まっているのです。

それは、誰かが悪いとか、誰かの責任として考えられるものなのかどうか。

彼は、自身の犯罪について「イノシシが暴れたようなもの」だと言い切ります。ひょっとしたら、それが「真実」なのかも、しれません。結局何が原因かなんて、安直には誰にも分からないのです。

ただ、彼の家庭環境が「ひどい」ことに間違いはありません。

私は、不登校の子どもと接する機会がよくあります。すべてとは言いませんが、多くのケースで、「親が子供を否定して育てている」様子が見えました。「父親が子どもの成績の悪さをなじる」「母親が子どもの力を信用せず、すぐ先回りしてやってしまう」など…。ある不登校を矯正する施設では、毎日のように両親に反省文を書かせるそうです。親が変わらないと子供は変わらないから、だと言います。私も経験上、やはり「家庭」がある程度「要因」になっていると感じています。稔が、死刑判決を受けた矢先に傍聴席を振り返り、父親に向かって「してやった」ような顔をしたのは、一連の彼の凶行の動機のある部分は、父親への復讐だったことはあり得ると思います。と同時にそれは、「父親に認めてもらいたかった」という欲求の裏返しでもあるのです。


星野順子(田中 麗奈)
葛城一家5
(家族になりまっしょい!)

本作は彼女の視点で語られますが、死刑反対のために、稔と獄中結婚をするよく分からないキャラクターでした。「私は、人間に絶望したくないんです!」と何度も高らかに宣言しておきながら、ラストは清に向かって、「あなた、それでも人間ですか!」と萬屋錦之介ばりの啖呵を切ってトドメをさします。
稔の話もよく聞かず一人でぺちゃくちゃ喋っているし…、本作は、大方のキャラクターがとにかく「自分勝手」なんですね。

KATURAGI0.jpg


書いているうちに、何だか暗ぁぁい気持ちになってきました…。
もうさ…
困ったオヤジがいたって、もっとカラッと明るくできないものでしょうか!?

例えばね。

バカボン
この人たちみたいにさ!


バカボン2
こんなオヤジの元でも、みな明るく生きてるじゃないか!


葛城一家は、みんな無駄にプライドや理想が高いんじゃないでしょうか。
高い基準で物事を考えているから、不平等な現実に耐えられないんですよ。

清は、一軒屋を建てて、もう十分立派だし。
伸子も、好きでもない夫とはいえ、可愛い息子たちを産み育てて立派だし。
保はとっとと営業をやめて、工場仕事とか、他に何か向いている仕事(ジョージアのCMみたいにとび職とかさ)を探して、家族を養っていけばいいし。
稔は今からでも、清の言う通り通信制の大学で学んで、一歩一歩地道に生活すればいいじゃんか。

この日本で、「人生もうお終い」なんて、大病でもない限りそうないんですよ。
みなさん、悲観的に考えすぎなんです。

そう! まさに「これでいいのだ!」という精神にならって!

それくらい、この家族の歪みは普遍的なものだし、一歩考え方が変わっていれば、いい方向に行く可能性さえあったように思えてなりません。(本作の葛城一家は、無差別殺傷事件である附属池田小事件の宅間一家をモデルにしていると言いますが、実際は映画以上に父親がひどかったといいます。そういう点では、本作は事件現場の悲惨さも含め、現実を正確には再現しておらず、ある意味、問題を描き切れていないと言えるのかもしれません。)

ということで。今日はここまでで。

KATURAGI


  

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Posted on 2017/03/05 Sun. 20:33 [edit]

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