素人目線の映画感想ブログ

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雨月物語 求めなければ、失わない。 


 無題
 雨月物語
 (1953年 日本映画)80/100点


たまには昔の名画を、と思いまして、溝口健二監督のベネチア国際映画祭銀獅子賞受賞の本作を手にとりました。
古典の名作ですから、あーだこーだと偉そうなことは言えませんが、率直に感じたままを書きたいと思います。
 
(結末まで、ネタバレいたします)


あらすじは、「琵琶湖の北岸に住む源十郎・宮木夫婦と藤兵衛・阿浜夫婦。どちらも極貧の暮らしだったが、つつましく暮らしていた。源十郎は焼き物で一攫千金を狙い、藤兵衛は侍になる夢を持つ。そんな二人を不安げに妻たちは見ていた。ある日、源十郎と藤兵衛と阿浜は、宮木を残し、焼き物を売るために街へ出る。そこで源十郎は、不思議な魅力を放つ若狭という女に出会い、女の屋敷に居ついてしまうが…」というお話。


みなさん、古い映画は見られていますか。中には、敷居が高くて…とか、難しいそうだし…とかいった理由で敬遠している人もいると思います。
けれど、長い間語り継がれる映画です。
世界に誇れる名画です。
やはり見てみたいじゃありませんか。
きっと思ったほどとっつきにくくないのではないか。
意外にも、現代にも通じる映画の醍醐味を感じることができるんじゃないだろうかと思って見ましたけど、どうも敷居は高いですな、やっぱ。

観賞能力の程度が測られようとも、名画を分かったフリをするのは嫌なので正直に書いていきたいと思っています。
やはり現代の映画のテンポや演出に慣れているため、初めの頃は退屈を感じますよ、どうしたって。
物語の流れをはっきりと示さないといいますか、始まってしばらくは何事も起きないしね。
私のように、慣れていない者が昔の名画を見るには、十分な体力を持って、十分な心構えをして、十分に集中して観賞する必要があると思います。
分かりやすく登場人物が心情をペラペラ吐露するとは限りません。
観賞する我々が、細やかに読み取る必要があるのです。

しかし、じっくりと観賞することで、じわりと胸をうつ哀しいテーマ性や、計算された照明やカメラワークなどの丁寧な演出、役者陣の巧みさに気付かされ、終盤はかなり食いついて見ておりました。

ま、序盤はつらかったですけど。

面白くなるのは、やはり主人公・源十郎と武家の娘・若狭とが出会う、長浜の街に舞台が移った時からです。
物語が、大きく動き始めるのです。
京マチ子演じる若狭は、気高く、妖しい雰囲気をたたえた武家の女です。
なんでも、織田信長に滅ぼされた朽木家の生き残りであるとか。
昔の美人ということなのか、どことなくお顔がぷっくりとしております。大成功した福笑いみたいな感じ…ちょっと失礼か。
若狭は源十郎の作った焼き物に感心し、源十郎を屋敷へと誘い込みます。
そこから、乳母のオババと二人がかりで迫り、あれよあれよと深い男女関係となってしまうのでした。妻の宮木や子供のことも忘れ、野原で古今東西のバカップルがしでかす、甘ったるい追いかけごっこ(「待てー、離さないぞー」「つかまえてごらんなさーい、キャハハウフフ」というアレ)などを興じる始末。
一方、藤兵衛はというと、焼き物売りの手伝いで大金を稼いぐやいなや、妻の阿浜の元を逃げ出して、鎧兜や槍など、「今日から君も侍だ」セットを買い込んでしまうのでした。
藤兵衛を見失った阿浜は一人とぼとぼしている内に、愚かな男どもに襲われ手籠めにされてしまいます。

なんて身勝手な男ども。
この映画の教訓はここにあります。
「夢を追う(見る)男と質素でも堅実な生活を求める女」
もちろん、当初の男の気持ちの中には、夢をかなえ、一攫千金をこしらえて、女房に良い目を見せたいという望みがあります。
しかし、身分不相応な望みは、いつしか人を滅ぼしかねないのです。

さて、顛末は…
若狭が実は死霊だと気付いた源十郎は、たまたま出会った神官に魔よけの呪文を背中に書いてもらった上で、若狭に「別れてくれ」と懇願します。
にこやかだった若狭が、女の怒りを爆発させた表情を浮かべ、迫ります。
それと同じくして、オババも怖い。
「な~ぜ~姫~と~契った~の~じゃ~」などと迫り、その迫力は美人局のそれに勝るものでした。
ああ、後悔先に立たず。
背中を向けたまま顔を上げられない源十郎ですが、ついにはそばにあった刀を振り回し、悪い男の常とう手段である「逆ギレ」にまんまと成功。若狭も屋敷も跡形もなく消えてしまいます。
その後家路に着きますが…なんと、源十郎が若狭にうつつを抜かしている間に、女房は侍に殺されていたのでした。
藤兵衛はというと、侍になり、ちょっとした幸運から出世を果たしますが、妻がいつの間にか女郎へと身を落としていたことを知って愕然とします。

    無題3
    (に~が~し~ま~せ~ぬ~ぞ~)


    無題2
    (女房が女郎になってしまい…ん? おかげで以前より美人になっている


こうして二人は元の村へと戻り、真面目に堅実に働くことを誓うのでした。

終盤の演出には目を見張るものがあります。
それは、若狭から逃れて源十郎が家路に着く場面です。
最初、朽ち果てた様子の家には誰もいません。
「宮木ー! 宮木ー!」と妻の名を呼びながら、家の周りをくるくる探していると…いつの間にか家の中に明かりが灯っており、宮木がいるのです。おや? さっきまでいなかったのに…。これがワンカットで表現されることに驚きました。溝口監督は、このようなワンカットの撮影に定評があるらしく、後の外国映画にも多大な影響を与えたと言います。
この演出により、私たちは宮木が死んだことに気づかされます。
宮木の死霊が藤十郎を迎えたのでした。
そこで気になるのは子供です。
果たして子供も死霊なのか…。
源十郎は眠りにつきます。そばで宮木は繕いものをしています。憂いを抱えた表情をして。
ここでも長回しです。決して特別なアクションはありません。もくもくと縫い物をする宮木。死霊となってもなお、そのひたむきな源十郎や家族への愛情が、とても切なく伝わってくる名シーンでした。
そして、朝を迎えます。
村長が源十郎の家に訪ね、目覚めた源十郎は妻を呼びます。
ぎょっとする村長は、「宮木は死んだぞ」と告げるのです。「子供を預かっていたのだが、昨夜いなくなって探しにきたのだ」と言います。
子供は無事でした。宮木の霊が呼び寄せたのでしょう。
ラストシーンの宮木のお墓参りのシーンでは、宮木の声が聞こえます。
「私は、あなたのそばにいますよ」と。
与えられた食べ物をお墓に供えて、手を合わせる子供の背中が、何とも凛として頼もしく感じました。

さて、本作の中で、特に驚いたカメラワークがあります。源十郎と若狭が露天風呂で「アライヤーン」と興じている場面から、流れ落ちる湯を追いかけるようにカメラが左に流れていくと、カットの継ぎ目が分からないように、いつのまに場面が野原に移り、先ほどの「キャハハウフフ」の追いかけごっこにつながっていくカット。
「絵巻物のように」をコンセプトにしていたと言いますが、まさに狙い通りに表現された見事なカット。
こういう卓越したアイディアは、確かに現代の映画ではめったに見られません。恐れ入ります。

さて、そろそろ締めに入ります。
前述したように、本作では「人間の不相応な欲が身を滅ぼす」という教訓がありました。
邦画やヨーロッパの映画に多いと思います。
「アメリカンドリーム」をテーマに掲げるアメリカ映画とは一線を画します。
また、本作には「人は失敗してようやく学ぶ」という前向きな姿勢も感じました。
堅実に前向きに、源十郎も藤兵衛も成長して進みます。
宮木の死の犠牲は確かに高すぎる代償ですが、「雨降って地固まる」
希望に満ち満ちたラストシーンだったと思いました。
つつましき幸せこそ、本当の幸せなのかなあと。

 無題1
 (何でもないこの日常こそ、かけがえのないものだったのに)


 

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Posted on 2012/12/14 Fri. 23:31 [edit]

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