ちょっと思い出しただけ/後悔なんて、しない。
(2021年 日本映画)
87点
<結末をネタバレしています>
「カップルの別れ」を描きます。この空気感、『花束みたいな恋をした』や『500日のサマー』を思い出します。
特別でも、壮大でも、悲劇でもない、誰にでも共感できそうなほど普通の物語ってのがミソです。
だから、セリフ周りがとてもナチュラルです。主人公の葉(よう)を演じる伊藤沙莉と、照生を演じる池松壮亮の巧さが際立ちます。深夜の商店街での長回しは必見です。あの流れを、一切臭くなく、爽やかに、しかもナチュラルに演じるってすごいもんです。
ただ。
リアルと思わせて、時々「映画っぽい」セリフが残念でした。さっぱりなタイプの伊藤沙莉に、「この世界に二人だけみたいだね」なんて恥ずかしいセリフ言わせないでほしかった…。待ち続ける永瀬正敏の存在意図は分からなくもないけど、本当に必要だったかなあ。あと、池松壮亮に負けないほどボソボソ喋る國村隼が、「愛とは?」を語る場面のむずがゆさ。そういった面が、ちょっとアンバランスです。
ジム・ジャームッシュの『ナイト・オン・ザ・プラネット』が下敷きになっていましたけど、よほどの映画好きでないと知らないよね。大昔に観て、ちっとも思い出せないから、もっかい観ようと思います。
『500日のサマー』では、恋がうまくいっている時とダメな時をバラバラに構成して「恋の不条理」を描きました。本作では、「別れ」から始まり、時が1年ごと戻っていって「出会い」に至る構成です。戻る日付が、決まって照生の誕生日ってところに工夫を感じます。
部屋の様子、人物の様子、人間関係の様子…、それぞれが現在から過去に巻き戻っていくだけで伏線が回収されていくのは、便利で面白いシステムだと思ったものです。ああ、アレって、ここであの子にもらったモノだったんだーっ、てな具合に。
ただ一つ難点が。
本作は「別れてからだいぶあと」から始まるため、二人の「別れ」に至るまでが約40分と長いです。そこからが本領ですので、そこまでがスローペースだから、ちょっと退屈だったなあ。
けれど。
だいぶ時が戻り、「恋の絶頂期~黎明期」が描かれるにしたがって、すでに「衰退期」を知らされている我々は、まんまと切ない仕掛けに揺られます。決して珍しくない、鉄板のジャンルですけどね。
葉と照生の性格設定は、『花束みたいな恋をした』とは男女真逆でした。『花束―』は、有村架純が夢見がちで、菅田将暉が現実的。本作では、タクシードライバーである伊藤沙莉(葉)が現実的で、ダンサーである池松壮亮(照生)が夢見がち。
「別れ」の場面は、二人の溝が明確になった瞬間です。現実的な「結婚」のイメージを押し込んでくる葉に、ダンサーの夢を捨てきれない照生が「うっ」となるのも、仕方ない。『花束―』や『500日―』と同じく、双方の想いの「質」が違ってるんです。性格の不一致とかじゃなくて、根本的に相性が合ってないんだな。
とはいえ。
二週間も音信不通にする照生は身勝手過ぎるし、照生が追いかけてこないとイラだつ葉もまた、照生の足のケガに無頓着で、身勝手な気がします。身勝手同士は、そもそもうまく行かない。
だから。
運命の恋を悔恨するようなラストシーンでなくて、良かったです。いつでもどこにでも転がってる、通りすがりのひとつの経験を、ちょっと思い出しただけ…ってのが、本当に素晴らしい。この終わり方は、今のパートナーを横にしながら、哀し気に視線を交わす『ラ・ラ・ランド』より好きですね。
「こうじゃなかった未来」を想像することは、誰にでもあります。けれど、それはどんな選択をしたところで同じです。抜き出したジェンガのブロックは、上に積み上げていくしかないのだから。間違って壊れても、また組み立てればいいだけのこと。
だから。
どんな未来でも必ず夜明けがやってくる。新しい1日が始まる。人生に選択の失敗なんてない。…ラストシーンに、そういう心強いメッセージを感じるのでした。
で。
珠玉はエンディングテーマです。尾崎世界観の『ナイト・オン・ザ・プラネット』 本作はなんと、松居大悟監督がこの曲に触発されて本作を制作したそうです。。
だから。
見事に映画を表した曲が流れるや、強烈な余韻が脳裏に浮かびあがります。これは…エンドロールまで観ない派の人でも、さすがに立ち上がれないでしょう。
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